消化器官達

小豆


 

 

 商店街の入り口に設置されているベンチに座る男女が二人。制服姿の高校生と中学生ほどの女の子が、買ったばかりの焼き芋を並んで仲良く食べている。

「おいしいね、お兄ちゃん」

「あぁ、そうだな」

「おならでちゃうね」

「そうだな」

「太っちゃうかな」

「そうかもな」

「運動すれば大丈夫だよね」

「だな」

 兄の方はただうなずくばかりだ。何か別のことに気を取られているのだろうか。

 妹は笑みだった表情を変え、兄をとがめるような口調で言った。

「お兄ちゃん、つまんない」

 むっ、と兄が妹の方を見る。

「せっかくおごってやったのに」

「そういうことじゃなくて」

「じゃあ、どういうことだよ」

 妹が口元をへの字にして答える。

「もう、分かんないならいいよ!」

「なんなんだよ……」

 兄がためいき混じりに呟く。一方の妹は焼き芋を食べる速度を上げ、兄のことを気にしないことに決めたようだ。

 ベンチに座った二人の距離が、少し離れた。

 

 その時、妹の食道では……。

「ちょ、待て待て待て待て! よく、よくかんでよ! だ、だめっ。それ以上原形を保ったの、飲み込んじゃだめー!」

 食道が悲鳴をあげていた。胃への入り口であり、のどとも言われる部分である。食道は重層扁平上皮という、とても丈夫な皮を持っているので傷つくことは無いが、痛いものは痛いのである。

「フゥーハッハッハッハ! 紗恵ちゃんはどうやらイライラし始めてしまったようだー!」

「──。──」

 食道の下の方から、胃が妙なテンションで話しかけてくる。かすかに十二指腸の声も混じっているが、胃の声がやかましくてよく聞こえなかった。

 胃が続ける。

「食道クン、諦めたまえ! 我々は所詮、脳に統括される消化器の一つに過ぎないのだから!」

食道が苦笑まじりに言う。

「胃に言われると説得力があるわね……って、あっ、またっ、そんな、大きいのがー!」

 ほとんどかまずに飲み込んだのだろうか、ただ一口分にかみきっただけの焼き芋が、食道にがしがしとあちこちぶつかりながら落ちて行き、胃にたどりついた。その焼き芋は胃に落ちて、さきほどから溶け始めている同胞たちとぶつかり合う。そこに胃酸が盛大に焼き芋へとふりそそいだ。

「フゥーハッハッハッハ! 我に任せればこんなもの、お茶の子さいさい、飛んで胃に入るたんぱく質よー!」

「それ、どっちかと言うと炭水化物なんですけど……」

 食道が突っこみを入れる。

「……食物、繊維も、多い。胃には、無理」

十二指腸もがボソリと呟いた。

「そんなものぉ、根性、努力、友情でぇ、どうにでもできるわぁ! フゥーハッハッハッハ! 協力するのだぁ、十二指腸! 友情パワー炸裂だぁー!」

「嫌」

「冷たいなぁー! フゥーハッハッハッハ!」

 十二指腸の更に下で、小腸が言葉を挟んだ。

「十二指腸、そこはウソでも胃を励ましてあげたまえ。脳にいつも無茶な要求を突きつけられているのは、胃なんだからね。人間が別腹と呼んでいるアレだ。忌々しい……何が別腹なものか。胃に過労を強い、無理に隙間を作っているだけだと言うのにっ」

胃はさっきから、フゥーハッハッハッハ、と高々に笑い続けているが、どこかヤケクソになっている印象があるのも否めない。

「十二指腸は、ただ、運ぶだけ、だから、応援は、しない……」

 小腸がフッと笑う。

「謙遜を。君は胃が消化したものをさらに消化するではないか。 (すい)臓から受け取って膵液で全ての栄養素を消化し、更には肝臓から受け取った胆汁で脂肪を乳化する。君の働きがなければ、私、小腸は何もできずに食べ物を見送ることになってしまう。君がいるおかげで、私はその任務を全うできるのだ。ありがとう、十二指腸

「……」

 十二指腸がモジモジし始める。

「何も恥ずかしがることはない。本当のことだからね」

 何やらいい雰囲気っぽいところに、声を荒げて割って入る臓器がいた。(すい)臓である。

「てめぇ、小腸ー! なに俺の十二指腸にちょっかいだしてんだ、アァン?」

「俺の十二指腸、だと? おい膵臓、お前何か勘違いしてねぇか?」

 肝臓も負けじと己を主張した。

「勘違いしてんのはテメェだ肝臓! 俺と十二指腸はナァ、結ばれてんだよ。見ろ、ほとんど一心同体だろ?」

 膵臓の言葉に肝臓は言葉を失った。膵臓と十二指腸は直接つながっているが、肝臓は胆嚢を経由してつながっているため、この点では膵臓に後れをとっているのだ。

「ナァ、十二指腸? お前は俺のものだよな?」

 膵臓が嬉々と問いかけた。しかし出迎えたのは十二指腸の冷たい返答だった。

「膵臓、キライ」

「ガァーン!」

 膵臓が衝撃に身を震わせる。肝臓が嬉しそうに言った。

「ヒュー嫌われてやんのー!」

「肝臓は、もっと、キライ」

「ガガァーン!」

 膵臓と肝臓がとたんに静かになる。食道の、大きいのやめてっ、という言葉と、胃の、フゥーハッハッハー、という声しか聞こえなくなる。十二指腸が周囲を気にかけることなく、黙々と次の消化の準備をし始めていた。小腸はまた、フッと笑った。

 

 

紗恵は家の電話で不満をぶちまけていた。

「もう、お兄ちゃんってばほんとつまんないのよー!」

 かれこれ二時間半ほどの長電話である。電話の相手は小学校からの幼馴染で、学校でもよく話す男子だ。

『紗恵ちゃんはお兄さんがほんとに好きなんだねー』

「な、なんでそんなことになるのよ!」

『文句があるってことはさ、その人に自分の望むような人になってほしいってことでしょ? それは好きでないとできないことだよ』

 紗恵は頬をふくらませる。

「言ってることよく分かんないけど、すごく勘違いされてる気がするっ」

『まあまあ』

 含み笑いをしているような声に、紗恵は慌てて話題を変えようとする。

「そんなことよりさぁ──」

 そこまで言って、紗恵は自分の体の異変に気付く。そう言えば、兄と一緒に焼き芋を食べたのだ。来るべきものが来たとしか言いようがない。

「あ、ごめん、お母さんが呼んでる。電話切るね」

『はいはいー』

 うそであるのだが、全てを承知したような調子で返答がくる。

「またね」

 紗恵はそれに気付かず電話を切った。そしてそのままトイレに向かった。

 紗恵の家には一つのきまりがある。放屁はトイレですべし、というきまりだ。

 

 

 放屁、それは人にとって、ちょっとマナー的にけしからん行為であり、誰にも知られずにこっそりほっそりするものである。だが大腸にとっては大仕事であった。

「我輩っ、パンッパンッであるぞ。良いか、パンッパンッであるぞ!」

 大腸では食物繊維など、小腸までで消化されつくさなかったものが発酵し、ガスを発生させる。特に繊維分の多い芋などを食べた場合は顕著になる。

 小腸が迷惑そうな声で言った。

「大腸、狭いよ。どうにかならないかい?」

「パンッパンッであるぞ!」

「聞いてないようだね……」

 (すい)臓が大腸を応援している。

「頑張れよ、大腸の旦那! ヒ・ヒ・フーー! ヒ・ヒ・フー!だ!」

「フゥーハッハッハッハ! それは違うのではないかな!?」

「パンッパンッであるぞ!」

 大腸はそう言った後、ふぬぬぬぬ、と何かをこらえ始める。

消化器官達が見守る中、大腸は、ふはぁ、と声をあげて一気にしぼむ。消火器達から歓声があがった。

「ふくらみに耐えてよく頑張った。感動した……」

 小腸が広くなったスペースでゆったりしながら言った。

「我輩、しぼんだのであるぞ……」

 大腸はどこか、寂しげであった。

「みんな、お疲れ様、ね」

 十二指腸はニッコリと笑った。

 

 

 消化器達が大喝采をしている時、一方の紗恵はと言うと。

「わぁー、今日のご飯はカレーだ!」

 テーブルの上の晩御飯にはしゃいでいた。

 既に兄と父親はテーブルについている。父親は新聞から少し顔をあげ、ちらりとだけと紗恵を見た。はしゃぐ紗恵に向かって、兄は、ニヤ、と笑った。

「カレーではしゃぐなんて、まだまだガキだなぁ」

「お兄ちゃんも好きなくせに」

 ふん、と兄は顔をそむけた。

「ウルセー」

「まあまあ、そんなに喜んでくれるなんて、お母さんも頑張って作った甲斐があるわねぇ」

 母親が嬉しそうに言って、台所から戻ってくる。新聞を広げて呼んでいた父親が新聞を畳み、背中とイスの背もたれの間に挟む。

「いただきまーっす」

 紗恵は嬉しそうにスプーンでカレーをすくい、口に運ぶ。かんでは飲み込み、かんではのみこむ。カレーは食道を通って次々と胃に運ばれていった。

 

 


 

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