困ったお嬢様だ
風観 吹
まったく、困ったお嬢様だ。
一人でどこかに行ってしまうなんて。捜すのが大変じゃないか。
滑り台の方か、それとも原っぱの方か。ここの公園はやたら広いから困る。
人にアイスを買わせておいて、一人でお出かけとは、ワガママなことだ。
原っぱにはいなかった。シロツメクサの冠をつくりに来ていそうなものだったが、残念ながら、うちの娘どころか人っ子一人いない。いれば一目でわかる見晴らしの良いここにいてくれたらどんなに楽だったことか。
仕方なく、滑り台のある広場に向かう。あそこには様々な遊具がある。隠れる場所が多いから、人捜しの時には困ったものだ。
今日は晴天。すがすがしい天気だ。しかしそのかわり日差しが容赦なく降りそそいでくる。アイスも直に溶けてしまいそうだ。あの子に帽子を被せておいてよかった。しかし、邪魔だといって帽子を取ってしまっているかもしれない。不安だ。早く捜さなければ。
原っぱと違って、広場には人がいた。親子連れが多いようで、子供たちが遊具で遊び、保護者たちがベンチに座って語らっている。屋根付きのベンチに座っているのは羨ましい。私も日陰に入りたい。母親たちの会話にはあまり加わりたくないが。
つば広の白い帽子をかぶっているはずの娘の姿は見当たらない。恐竜のトンネルの下にでもいるのだろうか。
二袋のアイスを持って大の男がうろついているのは目につくだろう。先ほどからあの保護者たちの目が痛い。
早く娘を捜さなければ。
大きく息を吸って、娘の名を叫ぼうとした時だった。
「本田さんじゃありませんか」
声をかけられて咄嗟に振り向くと、女が笑っていた。近所の里田という人だ。いや、最近岡本という姓に戻ったはずだ。
「どうも」
軽く頭を下げると、岡本さんも頭を下げた。
「娘さんなら、さっきあっちの原っぱの方に行っちゃいましたよ」
なんてことだ。入れ違いになってしまうとは。きっと、私が通った道とは別の道を行ったのだろう。
広場に来たのなら、ここでしばらく遊んでくれていたらよかったのに。 原っぱとわかったなら、すぐに迎えに行かなければ。
岡本さんにお礼を言おうとしたが、遮られた。
「娘さん、大丈夫なんですか。お母さんがいなくて」
耳を疑った。突然何を言っているんだ。この女は。
「きっと、寂しいでしょうね。お母さんがいないなんて。誰かいい人はいないんですか、本田さん」
あまりのことに、言葉を失ってしまった。
妻が逝ってから一年が経つ。ようやく妻のいない寂しさに慣れ始めてきたというそんな時に、まさかこの人にこんなことを言われるなんて。自分が代わりになれるとでも思っているのか。こちらの傷口をえぐりにくるような女が。
横目でベンチの方を見やると、女たちがこっちを見てこそこそと何かを話している。
岡本さんは、今は独りだ。子供は元の旦那が引き取っている。彼女の浮気が原因だとか。
変な噂をたてられてたまるか。
そう思って、彼女から離れようとしたが、どうあっても別れの挨拶をさせてくれない。こちらの言葉を遮って言葉をかけてくる。
女は何かを言っては、一人で笑っている。
ああ、アイスが溶けそうだ。早くあの子に渡してやらないと。
女はなおも笑っている。
もううんざりだ。挨拶なんてどうでもいい。
黙って彼女から離れようとしたその時だった。
「パパに近寄らないで!」
高い叫び声が聞こえた。あの子の声だ。
抱えている帽子の中は、白い花と緑の草でいっぱいになっていた。シロツメクサだろうか。花の冠でも作っていればいいのに、まったくこの子の考えていることはよくわからない。
お嬢様は、まっすぐに私の所に駆けてくると、私の腕をつかみ、原っぱに向かって走り出した。
「す、すみません」
そう言ったのがあの女に聞こえたのかはわからない。私は娘に引っ張られるがままに走った。
娘の帽子からはクローバーがこぼれ落ちている。葉を踏んでいるのにはまったくお構いなしに、娘は走った。私もアイスを落としそうになったが、なんとかこらえた。この子と一緒に食べるアイスだ。落とすわけにはいかない。
原っぱの真ん中で、ようやく娘は止まった。
息を切らし、顔を真っ赤にしながら、小さなお嬢様は言った。
「あんなふうに女の人とはなしちゃ、ダメなんだからね」
帽子の中の、シロツメクサの白い花と三つ葉が私に突き出される。
「パパのおよめさんになるのは、わたしなんだから!」
帽子の中に、四つ葉のクローバーがあるのが見えた。
さんざん人を振り回して……。
娘の頭に手をのせる。鼻の奥がつんとして、うまく言葉を出せない。
……まったく、本当に困ったお嬢様だ。