柔らかい米 風観 吹
「今日のご飯はどう?」
真正面に座っている妻が夫に言った。
野菜炒めに箸を伸ばしながら、夫は答えた。
「米が柔らかすぎる」
「昨日よりは硬めのはずだけど」
言いながら、妻は夫の手の中の茶碗に目を向けた。
茶碗の中の白米はもうほとんどなくなっている。
微笑すると、彼女は視線を小鉢の中のほうれん草の胡麻和えに移した。
「ほうれん草はどう?」
「味が薄い」
夫の即答に、彼女は動じることはなかった。彼の箸が小鉢に伸び、ほうれん草を全て、彼の口に運んでしまったのだから。
「野菜炒めは?」
「濃すぎる」
ゆっくりとキャベツを咀嚼しながら、夫は続けた。
「こんなにしょっぱいキャベツがあるか」
茶碗の中の白米をかきこむと、そのまま茶碗を妻に突き出した。
「おかわりだ。足りん」
茶碗を受け取り、はいはいと立ち上がる妻に、彼は尋ねた。
「ほうれん草、まだあるか?」
「味が薄いんじゃなかったの?」
妻が意地の悪い笑みを浮かべる。
夫は妻から視線を離して、ビールを口に含んだ。わざとらしく、ひとつ咳払いする。
「……足りないんだよ」
「はいはい、持ってくるから。待っててちょうだい」
台所に向かう妻の背中を見つめながら、夫は野菜炒めのにんじんを口に入れ、味わうようによく噛んだ。
妻が戻ってくると、慌てて飲み込み、言い放つ。
「やっぱり、にんじんもしょっぱいよ」
呆れたような笑みを浮かべながら、妻はほうれん草の入った小鉢と大盛りご飯の茶碗をテーブルに置いた。がたん、と食器が音をたてる。
「まずいなら、まずいと言ったらいいじゃない」
そんなことを、笑顔で言う妻。
夫は応えず、茶碗を手に取ると、黙々とほかほかの白米を食べ進める。
十数分後には、彼は食事を終えた。
「……やっぱり、少し柔らかかったな、米」
そう言い残して、彼は居間から出て行った。
夫が出て行った後、妻は普段通り何一つ食べ残しのない食器を片づけ始める。
そんな彼女に、今までずっとソファに座ってテレビを見ていた娘が声をかけた。
「今日のご飯、おいしかったよ」
「どうしたの、突然」
振り返らない母の背中に、娘は言葉を投げかけ続ける。
「だって、お父さん、あんなに言うから……」
「いいのよ。言わせておけば」
「またそんなこと言って。だからお父さんは調子に乗っちゃうんだよ」
母は振り返ると、微笑を浮かべて娘に言った。
「そういう訳じゃないわ。……お父さんはね、ああいう人なの」
食器を抱えて台所に入っていく母の姿を、娘は不服そうに見つめた。
翌日。
「今日の玉子焼き、しょっぱいな」
朝食を摂りながら、夫は呟いた。手にした箸にはきれいな黄色の厚焼き玉子がはさまれている。
彼の正面に座り、同じく朝食を摂っている娘が口をとがらせる。
「そんなことないよ。全然、しょっぱくない」
娘の言葉には応えず、彼は黙ってテレビのスイッチを入れた。
おいしい野菜炒め特集の映像が映る。
女性アナウンサーがスタジオで紹介されたおいしそうな野菜炒めを試食し、丁度いい塩加減でおいしいですね、などとありふれた感想を述べている。
魔法瓶を持った妻が台所から姿を現す。テーブルに魔法瓶を置く彼女の視線の先には、テレビ画面に映った、有名料理店の野菜炒めのアップ。
「ああいうのがおいしいのよね、きっと」
ぼそりと妻が漏らした呟きは夫の耳に入っていたようだった。
「いや、昨日の野菜炒めの方がうまいだろうな……」