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たたん たたん
たたん たたん
向かい合った座席の片方に並んで座った二人を乗せた汽車は確実に終着駅へと向かっていた。追われているというのは嘘であると告白した葉月は、長い乗車時間の中で事のあらましを全て話した。すっかり暗くなった闇の中を走る夜汽車に揺られて二人の間に沈黙が下りる。
「……だから慶介さん、私たちこれから自由に生きて生けるのよ?」
また何も言わない慶介を心配そうに見て恐る恐る口を開いた葉月。
「……葉月さん。私は今学業と仕事、両方をしています」
そう言い出して、慶介は不意に身の上話を始めた。
「まず朝、まだ日の出前に出かけます」
何を話そうというのか。葉月は慶介の言葉をただ聞くしかなかった。
「配達の仕事をして、それからようやく学校へ向かいます」
慶介はその黒く澄んで真直ぐな目線を葉月に向ける。
「葉月さんに会った後は夜の配達をしに行きます」
葉月に注がれるその視線は堂として揺るがない。
「私の生活は毎日がこれの繰り返しです」
規則的な夜汽車の振動音を背景に、慶介は話を締めくくった。
「……そんな大変な生活だったのですね。そうとは知らず私ったら連日貴方を連れまわしてしまって……」
葉月は自分が知りようもない慶介の貧しい暮らしを不憫に思った。
「いいえ。私はこの生活に満足しております」
慶介は落ち込んだ様子の葉月にきっぱりと言った。
「貴女は何故私が満足しているか、お分かりですか?」
「いえ……。お恥ずかしながらさっぱり分かりませんわ」
葉月は恥のあまり俯いてしまった。
「私には下に二人の兄弟があります。私には親を手伝って彼らを養いたいという思いがあるのです」
夜汽車の窓から何も見えないほど暗い空に新星や老いた星が小さく光る様を眺めながら、慶介は話を続ける。
「彼らのために働くことに何の苦痛がありましょうか?貴女は家のためを思う心がありながらこうした行動に出たのでしょうか?」
もう最後まで聞くのが辛くなるくらい、慶介の言葉は葉月の心に深く染みた。葉月はきつく目を閉じて慶介の話を聞く。
「常々私は貴女と会うことに罪悪感を覚えておりました。あまりに身分の違う私が、貴女が親に逆らってまで会うに足る存在なのかと」
もう会わないほうが良い。そう言われている気がして、葉月は閉じていた目を開きはっとして慶介を見る。
「しかしこれだけは言わせて下さい。人生は遊戯ではないのです。貴女も賢いのですから分かるでしょう」
慶介の視線は葉月にとってあまりに大人びていて、遠くのほうに霞んでいくようだった。


終着駅に着いた後、葉月の無事を伝える電報を送ると両親は涙を流して安心した。馬車で迎えに来た両親は、葉月がどんなに言っても慶介のことを認めようとはしなかった。
「葉月さん、人生は遊戯ではありません。しかし望みを叶える希望を持たんとさせるのもまた人生なのです」
慶介はそう言い残すともう葉月の前に姿を見せなくなった。


「花堂先生、人がお見えですよ。花堂葉月先生!」
縁談を断って学問の道を目指した葉月は数年後、教師となって働いていた。女性が働くということはまだまだ珍しいことであったが、彼女に対する生徒の評判はとても良いものであった。
「はい」
職員室から応接室へ向かう。いったい誰が自分を訪ねてわざわざ学校へ訪れたのかと足早に歩きながら考える。長く伸びた黒髪をひとつに結って束ねたのを整えながら髪飾りがきちんと付いているのを確認する。
「……っ!」
向かった先には一人の男性が立っていた。上品な洋服に身を包み、短く切った黒髪、その黒い瞳は真直ぐに葉月を見つめていた。
「言ったでしょう?望みを叶える希望は持たせてくれると」
慶介はそう言って微笑んだ。




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