桜の咲く前
大町 星雨

「ふもとの駐車場まで競争な! 負けたらスクワット二十回!」

 そう宣言するや否や、高志はストックを突いて、春のスキーコースに滑り出てしまった。俺は一瞬呆気にとられて、それから慌てて自分も後を追う。中3になっても、この役回りは変わってない。
 もう大分暖かくなったスキー場に、雪はほとんど残っていなかった。かろうじてコースの真ん中に雪をかき集めて、ふもとまでの細い道を作っている。エッジを立てれば下の土をガリガリと削ってしまうような悪路だ。
 今シーズンの滑り収めに何かやろうと言い出したのは俺だった。それに対して、高志が一方的にルールを告げて滑りだしたのだ。リフトの券は回数券だったし、その最後の一枚も使いきっている。つまり俺は高志が滑り出した時点で、奴のルールを呑むしかなかったのだ。
 その上この狭いコースでは、ふもとまでほとんど抜きようがない。俺がどれだけスピードを上げようと、高志より前に出ることはできないのだ。
 ストックもまともに立てられずに苦戦しながら、先を滑る高志にちらりと目をやる。あいつ、上手くやったな。俺は心の中で舌打ちした。
 駐車場が見えてきた。高志との距離は大分縮んできたが、追い抜かすのはまだだ。
 駐車場に入る直前に、建物で日陰になっている場所がある。そこにはまだ雪が残っていて、2人が並べるスペースがあるのだ。
 そのポイントが見えてきた。高志は時折土を跳ねかしながら滑っている。
 俺は幅が確保できるのを待って、ストックで土を押しながら高志の横に躍り出た。
 が、傾いた板のエッジが、全く雪に食い込まなかった。完璧なアイスバーンだ。しまった、とストックでバランスをとろうとした。しかし間に合わず、俺は背中や腕を固い氷にしたたか打ちつけた。俺の体は勢いで二、三転して止まった。
 背中がぴりぴりとした痛みを発している。起き上がろうと体を回すと、思わず顔をしかめたくなった。

「大丈夫かよ。この時期日陰に入っちゃ危ないってこと位、お前分かってんだろ」

 スキー靴の重い音と、高志の声が聞こえてきた。板は脱いできたのか。

「全く、俺に勝つためだからって無茶すんなよな」

 これから忙しいからだなんだから。
 最後をちょっとためらってから言って、高志は俺を助け起こしてくれた。転倒の衝撃であちこちに散らばった板とストックも拾って駐車場まで運んでくれた。いやに優しくて、逆に気分が悪かった。
 駐車場に着く頃には、痛みも大分やわらいでいた。高志が二人分の板を脇に置く。
 そろそろシーズン・オフとあって、停まっている車はほとんどない。ちらほらとある車のワイパーは、夜に凍りついて窓に張りつかないよう、みんな空を向けて立ててあった。暖かい日差しのなかでは、少し場違いに見える。

「スクワット二十回だよな。やるよ」

 俺はふと高志に声をかけて、両手を頭の後ろで組んだ。高志がひょいと眉を上げて、それから勢いよく首を横に振りながら、俺の手を外させた。

「あんなに派手にこけた後なんだからいいって、いいって」

「でも、競争のルールが――」

「いいんだよ。最後に本気(マジ)で勝負できて、ホント楽しかったからさ」

 高志はそう言って、太陽に向かって伸びをした。すとんと手を下して、太陽を見上げたまま目を細めてつぶやいた。

「来シーズンも滑りに来いよ。うちに泊めてやっから。埼玉の高校にも冬休みはあるんだろ」

「当たり前だろ」

 俺が笑うと、口の端がひりりと痛んだ。すり傷でもつくったらしい。
「明日、引っ越し何時?」

「三時には出る予定」
「そっか」

「親父の転勤だからな。明日行かないと間に合わないって」

 俺はつぶやくような声で言いながら、視線を巡らせた。
 ピンクの軽自動車のワイパーに、モンキチョウが一匹止まっていた。



「ふもとの駐車場まで競争な! 負けたらスクワット二十回!」
 そう宣言するや否や、高志はストックを突いて、春のスキーコースに滑り出てしまった。俺は一瞬呆気にとられて、それから慌てて自分も後を追う。中3になっても、この役回りは変わってない。
 もう大分暖かくなったスキー場に、雪はほとんど残っていなかった。かろうじてコースの真ん中に雪をかき集めて、ふもとまでの細い道を作っている。エッジを立てれば下の土をガリガリと削ってしまうような悪路だ。
 今シーズンの滑り収めに何かやろうと言い出したのは俺だった。それに対して、高志が一方的にルールを告げて滑りだしたのだ。リフトの券は回数券だったし、その最後の一枚も使いきっている。つまり俺は高志が滑り出した時点で、奴のルールを呑むしかなかったのだ。
 その上この狭いコースでは、ふもとまでほとんど抜きようがない。俺がどれだけスピードを上げようと、高志より前に出ることはできないのだ。
 ストックもまともに立てられずに苦戦しながら、先を滑る高志にちらりと目をやる。あいつ、上手くやったな。俺は心の中で舌打ちした。
 駐車場が見えてきた。高志との距離は大分縮んできたが、追い抜かすのはまだだ。
 駐車場に入る直前に、建物で日陰になっている場所がある。そこにはまだ雪が残っていて、2人が並べるスペースがあるのだ。
 そのポイントが見えてきた。高志は時折土を跳ねかしながら滑っている。
 俺は幅が確保できるのを待って、ストックで土を押しながら高志の横に躍り出た。
 が、傾いた板のエッジが、全く雪に食い込まなかった。完璧なアイスバーンだ。しまった、とストックでバランスをとろうとした。しかし間に合わず、俺は背中や腕を固い氷にしたたか打ちつけた。俺の体は勢いで二、三転して止まった。
 背中がぴりぴりとした痛みを発している。起き上がろうと体を回すと、思わず顔をしかめたくなった。
「大丈夫かよ。この時期日陰に入っちゃ危ないってこと位、お前分かってんだろ」
 スキー靴の重い音と、高志の声が聞こえてきた。板は脱いできたのか。
「全く、俺に勝つためだからって無茶すんなよな」
 これから忙しいからだなんだから。
 最後をちょっとためらってから言って、高志は俺を助け起こしてくれた。転倒の衝撃であちこちに散らばった板とストックも拾って駐車場まで運んでくれた。いやに優しくて、逆に気分が悪かった。
 駐車場に着く頃には、痛みも大分やわらいでいた。高志が二人分の板を脇に置く。
 そろそろシーズン・オフとあって、停まっている車はほとんどない。ちらほらとある車のワイパーは、夜に凍りついて窓に張りつかないよう、みんな空を向けて立ててあった。暖かい日差しのなかでは、少し場違いに見える。
「スクワット二十回だよな。やるよ」
 俺はふと高志に声をかけて、両手を頭の後ろで組んだ。高志がひょいと眉を上げて、それから勢いよく首を横に振りながら、俺の手を外させた。
「あんなに派手にこけた後なんだからいいって、いいって」
「でも、競争のルールが――」
「いいんだよ。最後に本気(マジ)で勝負できて、ホント楽しかったからさ」
 高志はそう言って、太陽に向かって伸びをした。すとんと手を下して、太陽を見上げたまま目を細めてつぶやいた。
「来シーズンも滑りに来いよ。うちに泊めてやっから。埼玉の高校にも冬休みはあるんだろ」
「当たり前だろ」
 俺が笑うと、口の端がひりりと痛んだ。すり傷でもつくったらしい。
「明日、引っ越し何時?」
「三時には出る予定」
「そっか」
「親父の転勤だからな。明日行かないと間に合わないって」
 俺はつぶやくような声で言いながら、視線を巡らせた。
 ピンクの軽自動車のワイパーに、モンキチョウが一匹止まっていた。




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