三つ目に

大町星雨

 遠い昔、ある日の朝。一人の男の子の前に、悪魔が現れました。悪魔は男の子が親近感を持つように、同い年の八歳くらいの男の子の姿になって現れました。

 いきなり部屋の中にいた悪魔に、男の子はびっくりして目を丸くしていました。悪魔はそんな男の子をなだめるように話しかけました。

「恐がらなくていいよ。僕は君の願いを叶えるために来たんだ」

「本当!? じゃあもしかして君は天使なの!?」

 男の子は目を輝かせて言いました。

「そんなようなものかな」

 悪魔はごまかして肩をすくめました。

「君の願いを三つまで、何でも叶えてあげよう。何がいい?」

 悪魔の言葉に、男の子はうーんと腕を組んで考え込みました。それを待つ間に、悪魔は部屋の様子を見回しました。

 と言っても、ほとんど物のない部屋でした。ここは町の外れの、高い高い塔のてっぺんの部屋でした。男の子の寝る小さなベッドと、使いこんで角が丸くなっている積み木。無機質な石の壁。大人でも蹴破れそうにない頑丈な鉄の扉。光は鉄格子のはまった窓一つだけから差しこんでいました。よくそこから外を見るのか、窓の下にはいすが一つ置いてありました。

 男の子の様子も、部屋とあまり変わりありませんでした。何日も着替えていないような服と髪の毛。運動も食事も足りず小さく細い体。噂では領主の息子だそうですが、権力争いとかで、何年も前からここに閉じ込められていました。

 もちろん、こんな様子だったからこそ悪魔がやってきたのですが。お決まりの三つの願いなど子どもはあっという間に使い果たして、魂はいい夕飯になるだろうと思えました。

 やっと男の子が顔を上げました。悪魔は期待して耳をそばだてました。

「ご飯が食べたい」

 男の子は一言そう言いました。悪魔は思っていた通りの答えにほくそ笑みながら、豪華な机といす、その上においしそうな匂いの立ち上る食事をそろえてやりました。

 男の子はわあっと歓声を上げて、いすに座るや否やかぶりつきました。悪魔はそれをにやにや――いや、にこにこしながら見ていました。

 すると男の子はふっと顔を上げて、悪魔を見ると首をかしげました。

「君は食べないの?」

 悪魔は咄嗟に答えられず、何を言ったのかと瞬きしました。

 男の子はにこっと笑って、お皿を一つ、悪魔の方に押してやりました。

「ほら、おいしいよ。食べなよ」

「いや、今はお腹がいっぱいなんだ」

 悪魔は内心どぎまぎしながら答えました。

「ふうん」

 男の子はそう言うと、また食べ始めました。悪魔はほっと胸をなでおろしました。

 

 昼。

「君の願いをあと二つまで、何でも叶えてあげよう。何がいい?」

 悪魔はまた男の子にたずねました。

 男の子はもう考えていたらしく、今度はすぐに答えました。

「外に行きたい!」

 悪魔はまたほくそ笑みながら、鉄の戸を指一本で粉々にすると、衛兵を吹き飛ばし、男の子を外に連れ出してやりました。

 男の子は嬉しそうに駆けだしました。悪魔はそれをほほ笑んで見ながら、ゆっくりと後から歩いて行きました。

 男の子は何か見つけた様子で悪魔の所まで駆け戻ってきました。

「ねえ、あそこに――」

 悪魔の傍まで戻ってきた所で、男の子は躓いて転びそうになりました。

 悪魔はさっと手を出して男の子を支えてやりました。

「ありがとう!」

 男の子は輝くような笑顔で悪魔にそう言うと、悪魔の手を引いて走り出しました。

 悪魔はお礼を言われたことなど、しかもそんな笑顔で言われたことなどなかったので、どうしたらいいのか分からないまま、男の子に引っ張られて行きました。

 

 夜。

「君の願いをあと一つ、何でも叶えてあげよう。何がいい?」

 すっかり日の暮れた丘の上で、悪魔はまた男の子にたずねました。心の中では舌舐めずりをしていました。この願いさえ叶えてしまえば、夕飯の魂が手に入るのです。自分でも上手い餌を見つけたと思っていました。

 男の子はすぐには答えませんでした。悩んでいるというようではなく、言うかどうか迷っているようでした。時々悪魔の顔をちらちら見て、そのたびに恥ずかしそうに顔を伏せます。

 何もない、見晴らしだけはいい丘の上で、悪魔は待ちました。

「どうしたんだい? 早く言いなよ」

 悪魔がじれったくなって促すと、男の子はようやくまっすぐ悪魔の顔を見ました。そして大きく息を吸って、言いました。

「……君に友達になってほしいんだ」

 悪魔はぽかんと口を開けてしまいました。そんな悪魔の顔を見て、焦ったように男の子が続けました。

「嫌ならいいんだよ、でも、今日は君が来てくれてとても楽しかったし、君はすごく優しいし、お願い事を叶えたらいなくなっちゃうような気がしたから、だから」

 男の子が息切れして黙った所で、悪魔は困って尋ねました。

「その願いを叶えるためには、僕はどうしたらいいんだ?」

 男の子も一緒になって考え込みました。

 長い長い時間が過ぎて、月がゆっくりと昇ってきました。

「ぼくにもよく分からないけど」

 ようやく男の子がしゃべりだしました。

「君が今日みたいに僕と一緒に遊んでくれると嬉しい。ずっと」

 悪魔は本当に頭を抱えてしまいました。そんな長い長い時間のかかる願いをされるとは思っていませんでした。どんな願いでもたちまち叶えられる力を悪魔は持っているはずなのです。人間がどれだけ時間をかけて作る橋も、一日で作れます。一国の王にすることも、まあひと月もあればできるでしょう。

 しかし、この願いは、男の子の一生分の時間のかかる願いでした。しかも、どうやったらいいのか見当もつきません。

 悪魔の腕に、そっと男の子が手を触れました。

 悪魔が男の子の顔を見ると、男の子はとても心配そうにのぞきこんでいました。

「何でも叶えてくれるんでしょ? ダメ?」

 男の子の顔は、月明かりでぼんやりと光って見えました。

「分かったよ」

 悪魔は自分の腕に触れていた男の子の手をそっと自分の手に取りながら、頷きました。心の中で言ったものは仕方ない、と思っていました。しかし心の奥では、この男の子といるのが楽しくなってきてもいました。

 

 

 ここに、お墓があります。何もない、見晴らしだけはいい丘の上に一つ、場違いなほどに立派な大理石でできています。

 そこにはきれいな字で、「507年共に旅をした友、ここに眠る」と彫られています。

 いつからあるのか、近くの町の人も知らない位、前からここにあります。誰が埋葬されているのかも、知っている人はいません。

 しかしそのお墓は、いつ行ってもていねいに手入れがされ、花が供えられています。






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