内臓の日

                 下柳 五郎

 

 

 あしたの天気は内臓らしい。あさっては晴れ、しあさってはくもり。TVの天気予報は、どの局も「明日の天気は内臓です。血が飛び散るので、傘と合羽をご用意ください」と言っている。天気予報サイトも表示に内臓のマークが出ている。内蔵、内臓、内臓。

 僕は雨の日が好きだ。雨は静かで穏やかだからだ。読書するにはうってつけの天気だ。しかし内臓の日は嫌だ。鮮やかな血の色が飛び散り、降ってきた内臓が積み重なって屋根がぎいぎいと鳴り、すえた臭いが一週間ほど街に残るからだ。

 僕は内臓があまり好きではない。見るのも踏むのも嫌だ。今から憂鬱である。明日は学校に行きたくない。内臓が降る中、大学に行くのは気分が悪い。大・小・中・様々な動物の多種多様な器官が、ばらばらと降ってくる光景は、いつみても血の気が引く。道端に転がっている内臓を踏んだ時の、ぐにゃりとした感触も嫌だ。

 休もうかなと思う。しかし来週はテストだ。今週はテストについて何か教えてくれるかもしれない。こんな時ぐらい学校を休みにすればいいのにと思うが、うちの学校は気が利かないので有名なのだ。

 どうしよう。

 とりあえず、お腹が減ったから赤い狐を食べよう。お湯を沸かそうとキッチンに行ったら、携帯が鳴った。

 表示を見たら、木ノ内だ。木ノ内と僕は「創作工房せせらぎ」という胡散臭い名前のサークルに入っている。

「はい」

「おまえ何やってんだよ?」

 携帯に出たのだ。

「赤い狐作ろうとしてた」

「学校来いよ」

「今日、休み」

「あー。曽根村、お前、約束忘れただろ?」

「約束?」何の?

「内臓降ってくるからさぁ。部室にビニールかけるって話しただろ」

「したっけ」覚えてない。

「したよ」

「ふうん」腹が鳴った。赤い狐が食べたい。

「だから来いよ」

「えーっ」面倒くさい。

 だいたい部室といったってただのプレハブ小屋じゃないか。あんなもの汚れたところでなんだというんだ。僕は赤い狐が食べたいんだ。

「俺だってやりたくないよ」拗ねた様に木ノ内が言った。

「じゃあ」いいじゃん。

「俺とお前だけだったらいいけどさ。芹沢さんもやるっていってんだよ」

「まじで」

 芹沢かなは、「せせらぎ」に入っていて、同じ学部で同じ学年の女の子だ。いつも何か難しそうな本を読んでいる。あまり表情が変わらないので、どこか人形めいた印象がある。

「なんで芹沢さんが」

「一年有志がやるって話だっただろ」

 そりゃそうだが、あんなものは形だけで、実際は先輩から押し付けられた奴がやるのだ。なんで芹沢さんが来たのだろう?

「俺と芹沢さんと二人だけなんだぜ」木ノ内が泣きつくように言った。

 まあ、ギャルゲーが趣味の木ノ内と、哲学者のヴィトゲンシュタインが好きな芹沢さんに共通の話題なんてないだろう。間違いなく、ない。

「わかったよ。今から行く」

「ビニールとか買ってあるから」

「はい」

 電話を切った。めんどうくさい。さらば赤い狐。また会う日まで。

 

 

 大学に行く道中で、街中に内臓対策のビニールが張ってあるのを見た。この季節になるとビニールが飛ぶように売れるらしい。しかしそこらじゅうにビニールを貼っても、汚れるところは汚れる。

 降ってきた内臓は、市の清掃車が処理をする。積もった内臓はそれでだいたいなくなるが、血は一週間経っても落ちないことがある。気分はあまりよろしくない。

半世紀前から内臓は降るようになった。最初に内臓が降ったときは、数千万人が発狂したそうだ。それまでは降ったことがなかったから当然だ。

科学者たちは内臓が降るメカニズムについて少しずつ解明しているらしいが、話を聞いてもよくわからない。なんでも異次元のとある現象が関係しているらしい。理系のトップが何とか理解できる話など、僕が聞いてわかるわけがない。とにかく内臓が降るのだ。

 最初のうちは発狂者が続出したが、人間慣れれば慣れるもので、内臓が降っても大して驚かなくなった。どの季節に内臓が降るか、天気予報でいつ内臓が降るかとかもわかるようになったのだ。といっても僕の祖父母は内臓が降る日は絶対外に出ない。幼少期のトラウマというやつだろう。

 

 

 大学に着いた。部室に行った。「せせらぎ」の部室はプレハブ小屋だ。何代か前の部長が、一人で建てたものだ。無理やり学校に認可させたらしい。その話は伝説になっているが、聞いた人は皆、微妙な反応しかしない。すごいことはすごいのだが、どういう顔をしたらいいのかわからないのだ。

 部室の前には、芹沢さんしかいなかった。

「こ、こんにちは」

「こんにちは」

 なぜ、どうして木ノ内はいないのだ。落ち着かない。ビニールの束が部室の玄関に立てかけられていた。

「これですか?」と僕は聞いた。

「これです」と芹沢さんが答えた。

 確かに、これだよなあ。これを使ってビニールを貼るんだな。うん。わかった。……もう会話のネタはなかった。我ながらさすがに駄目だと思った。

「木ノ内くんは、コンビニに行きました」と芹沢さんが言った。

「あ、そうなんだ」

 よかった。帰ってなかった。

「芹沢さんも一緒に行けばよかったのに」

「一人が残ってないと曽根村くんが困るって、木ノ内くんが言って」

 僕の為に待っていてくれたのだ。なんだか申し訳ない気がした。ああやっぱり来るんじゃなかった。木ノ内も木ノ内で、一人でコンビ二行ってんじゃねえよ。

「……」

「……」

 沈黙。きまずい。僕だって芹沢さんと共通の話題がある訳ではないのだ。無理に話しかけたらきっとやけどする。経験則だ。

 地面を見る。時間を潰すためだけに、地面を見る。

「わたし、好きなの」

「何が?」

「内臓の日に、散歩をするのが」

「芹沢さん、内臓の日が好きなの?」

「あの匂いとかは好きじゃないけど、内臓の日に外へ出ると、なにもかもちがってみえるから。わたし、ああいうのが好きなの」

「ふうん、そうなんだ」

内臓の日はなにもかもがちがってみえる、というのはわからなくもない。血と内臓が降ってきて、街を歩く人は皆うつむいていて、何か秘密を持っているようで、どことなく妖しい。合羽の演出効果もあるだろう。内臓の日は世界が赤く染まる。それがきれいだと言う人は少なくない。

「曽根村君は?」

「えっ」

「内臓の日、好き?」

 横目で、芹沢さんを見た。彼女の首のあたりで切りそろえられた髪を見た。首がやけに白いと思った。顔は良く見えなかった。

「普通だよ」

「そう」

 僕は小さな嘘を吐いた。内臓の日は嫌いだけど、彼女と意見を違えたくなかった。価値観が違う人だと思われたくなかった。だから嘘を吐いた。そして、きっと彼女にはこの嘘がばれている気がした。

「おう、わりい」と言って、木ノ内がやって来た。コンビニの袋をぶらさげている。

「おそいよ」と僕は言った。

「お前だって遅れたんだから、お互い様だろ」

 それとこれとは話が違う気がする。

「じゃあ作業初めましょうか」と木ノ内が言って、作業が始まった。

 

 

 作業は三十分で終わった。部室の壁にビニールを貼るだけだからだ。屋根にビニールを貼るかどうか迷ったが、結局貼らないことにした。あさってに屋根に登って、掃除した方が早いと判断したからだ。

 内臓の仕事をしていたので、雑談の内容も自然と内容に関わることになった。

 最近の建材は内臓や血の跡が残らないようになっているんだと木ノ内が言った。建築業者の叔父から聞いたらしい。技術の進歩は凄いなあと思う。

 五十年前、内臓が空から降ってくるまでは、内臓は食べられていたのだと芹沢さんが言った。とても信じられないが、鍋や炒め物として食べていたらしい。空から降ってくるようになってきて商品価値が下落したと芹沢さんは語った。祖父や祖父母から聞いたことがない話だ。きっと無理矢理忘れたのだろう。

 僕は二人の話にうなずいていた。自分からは一切話さなかった。内臓に関わる話など知らないからだ。知ろうとも思わなかった。

「曽根村、お前何か知らないの?」と木ノ内が僕に話を振ってきた。余計なことをしないでほしい。

 芹沢さんが僕を見た。そんな期待するような目で見ないでほしい。

「えーっ」必死に思い出そうとした。内臓に関わる話。

「…………内臓キングだ」

「何だよそれ」

「小学生の時に、公園で会ったんだ。アフリカにあるような仮面被った人に。そいつの名前が内臓キング。内臓には意志があって、いま空から落ちてくるのは、意志を失った内臓たちだと彼は言ってた。あいつらは天使のなりそこないだって」

「はあ」木ノ内の呆れたような声。しょうがない。言っている僕だって呆れているのだ。でも本当だ。内臓キングは、本当にいたのだ。なぜ今までこんなことを忘れていたのだろう。

 僕が内臓のことが苦手だったのは、内臓キングに会ったからだ。

「『坊主、証拠を見せてやろう』と彼は言って、仮面を外した。仮面の下は赤かった。顔は全部内臓でできていた。『私の血は汚れている』と彼は言った。『だから戦わなくちゃいけないんだ』とも言った」

「……その彼はどうしたの?」

「わからない。覚えていない。車に轢かれたのを見たような気もするし、電車に乗るところにさよならを言った気もする。いい人だったんだ、多分。でも、今の今まで僕は忘れていた」

「……お前、即興で作ったのそれ?」木ノ内はよくわからないと言いたげだった。僕の話が、嘘か本当か。自分は、怒ればいいのか、笑えばいいのか、判断がついていないのだろう。

「えっ」ちがうよ、と言おうとして、止めた。信じて貰えないからだ。それに僕自身、よくわかっていない。

「どうだろうね」と笑っておくにとどめた。

 

 

 次の日。僕はアパートで読書をしていた。赤い狐とは再会して、腹の中に送り込んだ。今頃は、消化されているだろう。

内臓が降っている。地面にたたきつけられる音が聞える。血が跳ぶ音が聞える。僕が住んでいるアパートは築三十年。内臓が積み重なって、家屋が倒壊するという事例は聞いたことがないが、すこし不安だ。

結局、僕は学校を休んだ。テストのことは同じ授業を取っている友人に聞くことにした。こういう時、友人は便利だ。裏を返すとこういう時しか便利じゃない。

「彼のことは話さない方がいいよ」

昨日の別れ際、芹沢さんが僕に言った言葉だ。ひっそりと、微笑みながら、彼女はそう言った。謎めいた言葉だ。もしかしたら彼女は内臓キングについて何か知っているのかもしれない。

でも僕は、そこまで内臓キングのことを気に留めていなかった。頭に焼き付いているのは、彼女の微笑み、紅い口元。

目を瞑る。

きっと彼女は、内臓が降る中、散歩をしている。合羽を着て、傘をさして、足元は弾んでいて、口元は微笑んでいる。芹沢さんは楽しんでいる。

 もしかしたら、傘とは別の方の手に、仮面を持っているかもしれない。アフリカにあるような仮面を。

 赤い世界で、人形のような芹沢さんは良く映えるだろう。

 その光景が見てみたいと思った。

 内臓は、まだ降っている。