タイムパトロールかく語りき          

 下柳五郎

カップヌードル(しょうゆ味)に沸騰したお湯を注ぎ、さて三分待とうとした時、俺の部屋がビリビリと振動しだした。地震ではない。雷でもなく火事でもない。俺はもう慣れていたので、携帯時計の時計を見た。午前二時二十八分。こんな時間に来ないでほしい。振動は一点に集中し、そこに未来人が現れた。こいつはいつだって唐突に現われる。

 未来人は上がTシャツ、下は青のジーパンだった。Tシャツにはミライジンとでかでかとプリントされている。こいつが着てくる服にしてはまともな部類に入る。前回はリオのカーニバルの踊り子の恰好だった。基本的に未来人は俺のことを馬鹿にしているのだろう。

未来人の髪は赤銅色で、肌は陶器の様な白。そしておそらく十代の女性。名前はソガワケイコという。未来の日本の時間経済保安局というところの職員。要するにタイムパトロール。本当か嘘かは俺には確かめられない。こいつとはここ数か月の仲だが、いまだによく分からないとこが多い。

「来たぞ」とソガワが言った。そんなことは見れば分かる。やっぱりこいつはずれている。俺はカップヌードルのことを思い出して、時計を見た。二時三十二分。三分を超えてしまったが、許容範囲だ。

「飯を食うから、ちょっと待ってろ」とソガワに言おうとしたら、ソガワは俺のカップヌードルを食べていた。ちょっと待て。それは俺のだ。それにどこから出したのだ、その割り箸は。

「ふぉっふぉふぁってろ」という音を未来人が出した。物を食いながら喋らないでほしい。ちょっと待ってろと言いたいのだろう。ああ待つよ。待つともさ。俺はもう一個カップヌードル(しょうゆ味)を出して、お湯を入れた。さっき沸かしたばっかりだからこのお湯で大丈夫だろう。

 俺は、今度は食われないようにカップヌードルを握りしめ、ソガワを睨みつけた。まったくなんでこんな奴がタイムパトロールなんだ。未来にはいい人材がいないのだろうか。

 食べ終えたソガワが言った。

「カップヌードルは偉大だな。私たちの時代のものとほとんど味が変わっていない。素晴らしい。これこそ人類の宝だ。守るべきものとはこういうことを言うのだろう。ちなみに私はカレー味の方が好きなのだが、この家にあるかな?」

 まだ食べる気かよ。あるけどやらねえよ。

 俺は無視して、カップラーメンを食べることにした。ソガワは一瞬だけしょんぼりした顔をしたが、その後すぐ俺の漫画を読みだした。うん。やっぱりマナーは大事だと思う。俺は子供が出来たらしっかり教えることにした。

 出来るだけ急いで食べた。ソガワの用事は緊急を要するものが多いからだ。

食べ終わってからソガワを見ると、ソガワは何かを探していた。嫌な予感がしたので、俺は訊ねた。

「何、探しているんだ?」

「この時代の、成人男性の文化的資料を探してこいと大学の先生に頼まれてな」

「……漫画でいいんじゃないのか」

「いや、もっと、何かな。そういうのじゃないんだよ」

「もしかしてもっとアダルティーでエロチックなやつか」

「う、ううん。まあ、そういう系統であることは間違いないが、私はもっと高尚なものを探している」とソガワは言った。おそらく嘘だ。こいつは俺のエロ本を探している。未来人が。俺の。エロ本を探そうとしている。

 俺はソガワの肩を叩いた。「何だ?」とソガワが言った。「仕事の話をしろ」と俺は言った。はしを手に持ちながら。それをソガワの方に向けながら。卑怯な手だと思うが、実力行使をしなかっただけありがたく思っていただきたい。

「いや、本当に探しているんだよ。アダルティーでエロチックなやつ」

「嘘だろ?」

「ミライジンウソツカナイ」

 うそつけ。

 しかしどうやらアダルティーでエロチックなやつを探しているは本当のようだ。ソガワは冗談と本気が分かりにくい。まあこいつだけでなくそれは未来人全体に言えることだ。顔は俳優やアイドル並みに整っているし、表情もすぐ顔に出るのだが、なんとなく本気じゃない感じがする。まあそれをいったら現代人の俺だってそうなのかもしれないが。

「だからだな。現時協力員であるお前からもらうのが一番手っ取り早いんだよ」

「まあ、いいたいことはわかった。でもさ、お前らの時代のネットとかにあの、なんだ、その俺らの時代のデータ残っているんじゃないのか」

 エロ画像の。

「それは残ってはいるが。出来るなら紙媒体の方がいいんだとさ。そっちのほうがはかどるとかなんとか」

 何がはかどるかは聞かないでおこう。全く風変わりな先生もいたものだ。本当に先生に頼まれたかどうかは定かではないが、おそらく事実だろう。

 ソガワの時代のタイムマシンは国家によって管理されている。当然だ。タイムトラベルなんてものは個人が扱っていい代物でないと未来人は言う。バックトゥザフューチャー全否定だ。

 だから国家にエロ本の資料探しを依頼した先生は実在するのだろう。世も末だ。タイムマシーンもそんな使われ方をするとは思っていないだろう。

「あー。お前が探している奴なら多分、コンビニに売っているぞ。山ほど」

「ふむ、そうか」ソガワは納得したように手を叩き、金を俺に渡してきた。

 そして「行ってこい」と笑顔で言った。

「なんで、俺が」

「お前、レディーにエロ本を買いにいかせろというのか。それは、あまりにもひどいことだぞ。いやいいけどさ。これで私にトラウマができることは間違いないな。ああセクシャルハラスメントだ。見えない圧力だ。PTSDだ。天国のお母さん、私いじめられてます」

「レディーは他人の家に来ていきなりカップヌードルを食わない。それに天国のお母さんってのも嘘だろ」

「つまらないことでぐちぐち言うな。さっさとエロ本買ってこいよ。現時人」

 本性だしたな未来人。それとエロ本ってはっきり言うな。

「あのなあ。深夜二時にだぞ。エロ本を買うようになったら俺は人として終わったと言う気がするんだよ」と俺。

「気がするだけだよ」にっこり笑って未来人がそう言った。俺に銃を向けながら。未来の光線銃ではなく、黒光りするトカレフだ。さっき割り箸で目つついとけばよかった。

 何冊買えばいいんだと聞くと、最低五冊は買ってこいと言われた。金はあっちが払うらしいが、こっちは心をすり減らすんだ。金の問題じゃない。もし、もしもだぞ店員が顔見知りだったらどうするんだ。どういいわけすればいいのだ。ああ、最悪だ。思えばあいつとの出会いも最悪だったが、まあ長くなるので割愛する。

 俺は基本的にサークルKよりセブンイレブンの方が好きだ。ローソンよりもセブンイレブンの方が好きだ。飯が上手いのだ。セブンイレブンは。なんとなく丁寧な感じがする。これは媚を売っている訳ではなく、厳然たる事実だ。俺だけではなく、知り合いも同意見だ。

 しかし俺のアパートの近くにあるコンビニはローソンだ。セブンではない。あの青い牛乳瓶の看板をした店だ。別に嫌いではないが、セブンより価値は劣る。それなので俺はちょっと遠いセブンイレブンに向かった。

 セブンに入る。もう時刻は午前三時を超えている。客もなんだか怪しい人ばっかりだと思ってしまう。もちろんただの思い込みだ。深夜に居るからって怪しい人ではない。この理屈ならおれも怪しい人になってしまう。それだけはどうしてもいけない。

 エロ本のコーナーに行き、適当に五冊入れた。選びはしない。適当に入れただけだ。五冊で十分だろう。こんなところでこういうものを買うのは初めてだ。ネットでは買ったことがあるが、まあそれはいいとしよう。

 俺がかごにエロ本を勢いよく入れるのをとなりのおっさんがやるねえ兄ちゃんすごいね兄ちゃんみたいな目つきで見てきた。やらない。すごくない。勘弁してくれ。

 ソガワの言うとおりにするのもしゃくなので、俺も何か買っておくことにした。とりあえず明日の分の弁当と飲み物、それとハーゲンダッツを三個。やってやったぜと思うが、これしかできない自分の小市民根性が情けない。

 ソガワにもらった金でこれぐらいは十分足りる。

 よしと思ってレジに向かった。そして絶望した。

 レジの店員は顔見知りではなかったが、俺のこれまでの人生で、ベスト3に入るぐらい可愛い女の店員だった。黒のショートカット。切れ長の目。

俺は未来人がきた時よりもこっちの衝撃の方がでかかった。やばいやばいやばい。背中が一瞬で冷たくなる。何故こんな子が深夜シフトを?

 彼女は聖母のように笑いながら、エロ本をかごから取り出し、レジ打ちをしだした。心の中では俺のことをあざけっているに違いない。この豚やろうとゴミ屑と。あああ。

弁明したくなる。俺はこんな人間じゃないんだ。もっと普段はちゃんとしてるんだコンビニでエロ本なんか買わない人間なんだよと弁明したくなる。しかしどう弁明すればいいのだ? 未来人に銃口を突きつけられてしょうがなくエロ本を買いに来ましたと事実をありのままに言ったら、完璧に壊れた人じゃないか。助けてくれ誰か助けてくれ。

弁明をする猶予もチャンスもなく、彼女は淡々と仕事を済ませる。俺はただがくがくと震えていた。多分今顔色は真っ青だろう。最悪。まさに最悪だ。何故こういう時におばさんの店員じゃないんだ。おじさんの店員じゃないんだ。全くもって社会が悪いのか。この状況は一体何なんだ。

「あの、これ、袋にお入れしますか?」と聖母は言った。俺は言葉を出す気力もなくなっていたので、ただコクリとうなずいた。死にたくなった。これで死にたくならない男がいるのか。居たとしたらそいつを俺は師匠とよぼう。

 泣きながら家に帰った。これを男泣きと俗に言う。

ドアを開けると、ソガワがピコピコとゲームをしていた。俺は何も言う元気がなく、ただエロ本を投げつけた。

 ソガワはそれを難なくよけ、「これ面白いな。借りていいか」と言った。

「すきにしてくれ」

 そう俺は呟き、ハーゲンダッツを冷蔵庫に入れ、ベッドにもぐりこんだ。ソガワが何か言っていたような気がするが、よく覚えていない。

 その眠りで俺は夢を見た。

 メリーゴーランドにコンビニの聖母と一緒に乗っている夢だった。

 楽しいなあと俺は思っているのに、あっちはこちらをじっと見つめて、ただ悲しそうにしているだけだった。俺はもしかしたら死んでいるんだろうかと夢の中で思った。

 夢の中で、ソガワが戦車をきゅるきゅると走らせてきたところで目が覚めた。時計を見たらもう昼過ぎだった。

 寝ぼけ頭を二、三回振ってから歯を磨き、テーブルを見た。

 ハーゲンダッツのカップが二個あった。もちろん食べ終わったカップだ。俺は食っていない。しかもこれは昨日のアレが夢ではなかったと言う証拠だ。最悪だ。もうセブンに行けないかもしれない。どうしよう。

「おいしかったよ。ありがとね」とソガワの似顔絵が描かれたメモを破り捨て、俺は冷蔵庫を開けた。ハーゲンダッツは一個だけ残っていた。

 何故か知らないが、今しか食べるチャンスはないと思い、ハーゲンダッツを食べた。久しぶりに食べるハーゲンダッツはやっぱりおいしかった。おいしさと値段がちょうどいいバランスなのだろう。どこか夏を思わせる味だった。