目の前に獣

下柳 五郎


 目の前には獣がいる。黒く大きい獣だ。黄色い目は獰猛そのもの、慈悲は一切感じられない。耳は悪魔のように尖っている。大きく開いた真っ赤な口からはだらだらとよだれが垂れている。

 待ちきれないのだ。私が右手に持っているコロッケパンを食べるのが。いや隙あれば、私の指の一本や、二本もついでに食べようとしているのだろう。

 この均衡状態がどのくらい続くかは分からない。あと数秒したら獣は私に襲い掛かるかもしれないし、何時間もこのままかもしれない。主導権はほぼ獣にある。獣が私を見てすぐ襲わなかったのが不思議なくらいだ。しかしこのままでは近いうちに私の指とコロッケパンは獣の胃の中行きだ。

 逃げようとは思うがうかつには動けない。背を見せたら、襲い掛かられるからだ。獣の足は速い。逃げ切ることはできないだろう。死んだふりもする気がしない。あんな不確かな方法に賭ける勇気は私にはない。同様の理由で、目を合わせたまま、ゆっくり後に下がるという手も使えない。

しかし手はある。奴の狙いはおそらくコロッケパンだ。だからコロッケパンを放せば指が傷つくことはない。コロッケパンを代償にして、指が助かるなら安いものだ。コロッケパンを獣に向かって投げつければ、奴はコロッケパンに飛びつく。その間に私は逃げ出せる。よし完璧な作戦だ。

しかし本当にそうなのか? 本当に完璧なのか?

獣が本当に狙っているのはコロッケパンではなく、私だったら。コロッケパンがついでにすぎなかったら。コロッケパンを投げた瞬間、私に襲い掛かってこられたら、指どころではない、たくさんの大切なものを獣に奪われるだろう。獣が本当は何を求めているのか、分かる手段は今の私にはない。こうなってしまってはコロッケパンを投げるという手は駄目だ。

何がふれあいワンニャンパークだ。

こんなところにふれあいを求めてやって来た私が馬鹿だった。ここにはふれあいなどないのだ。冷たい、いつもどおりの、現実的な、弱肉強食の世界があるだけだった。

入口の所で子供が泣いていたのをもうちょっと注意深く見ておけばよかった。

救急車のサイレンが聞えた。だんだん音が大きくなっている。

獣に誰かが噛まれたのだ。

 獣が足を一歩踏み出した。

 獣くさい息の匂い。

 実家で飼っている犬と猫を思い出した。

 太った犬と太っても痩せてもいない猫。奴らのフンの処理担当はいつも私だった。猫はいつもトイレにしてくれるからいいのだが、犬が面倒だった。

 散歩している最中にこっちを見て恥ずかしそうな顔をしていつも大量のフンをする。恥ずかしいと思うなら見せなければいいのにと思うが、飼い犬の都合上そうはいかない。私はフンの匂いに嫌になりながら、スコップで袋に入れていた。その袋を私はクソ袋と呼んでいた。フン袋じゃ語呂が悪いからだ。

 フンは臭い。あたりまえだがあまりいい匂いじゃない。動物が可愛い可愛いとか言っている奴らはそういう匂いは嗅がず、ただ可愛さだけを求めるのだ。自分に都合のいい可愛さだけを。

 もちろん今では私もその一人だ。

 フンの処理をしたくないからここに来た。可愛さに溺れるために、現実逃避をするために、ふれあいを求めてここにやって来た。

 それなのに、窮地に立たされている。だいぶピンチだ。

 なんだろう。これは警句か。警句なのか。私にフンの匂いを忘れるなと言うメッセージなのか。現実逃避をするなと誰かが回りくどいやり方で私に起こっているのか。こんな回りくどいやり方じゃなくてももっと他に方法があっただろう。

 そうこう思っている間に獣はどんどん私の元に近づいてきた。ふんふんと私の匂いを嗅いでいる。

 もしかしたらこれがこの獣なりのふれあいなのかもしれない。襲われるなんてことはなく、全ては私の勘違いで、今から私は都合のいい可愛さに溺れることができるのかもしれない。そう思った次の瞬間。

 獣が私に飛び掛かってきた。

 体が来るべき衝撃に備えた。

 何か考えることなどできなかった。

 数秒経って目を開けた。

 最初に目に入ってきたのはコロッケパンだった。まだ手に持っていた。

 無事だ。私は無事だ。何の痛みもない。衝撃はなかった。

 助かったことに喜ぶ余裕などなかった。ただ何秒かが過ぎてふと頭の中に疑問が浮かんだ。

では獣はどこに行ったのだ?

 後ろから叫び声が聞こえた。

 振り向くと私にコロッケパンを売ったパン屋の屋台が獣に蹂躙されていた。

 パン屋は助けてくれと叫んでいるが、誰も助けない。みんなにやにやと笑って、パン屋が獣に襲われる様を眺めている。彼らも手にコロッケパンを持っていて、どこか疲れたような顔をしている。私と同じように獣に襲われたからだ。

次から次へと獣がパン屋の所に集まってきて、パンを食い散らかしたり、屋台を壊したりしている。パン屋自身も噛まれているだろう。

 私はパン屋を助ける気はない。奴のところでコロッケパンを買ったのが問題の始まりだったと思えるからだ。パン屋は分かっていたはずだ。私がパンを持っていれば、獣に襲われるという事を。それをわかっていてこんなところでパンを売っているのだ。確信犯だ。確信犯に違いない。奴は悪意あるパン屋だ。

 みんなパン屋の悪意によって獣に襲われた。

より多くの獣がパン屋に向かって集まってきた。

 これはパン屋が受けねばならない罰なのだ。

 なら助けないのは当然だ。笑って、笑って、笑ってあげよう。罰が下されるのを見物させてもらおう。もやもやとしていた気分が晴れた。楽しい。

 実際の所、パン屋がすべて悪いわけではない。コロッケパンを売ったパン屋に責任があるならば、コロッケパンを買った私たちにも責任がある。獣が襲い掛かってきたのはこれが初めてかもしれない。パン屋に悪意があったかどうかなんてわからない。

でもそんなことはどうでもいい。パン屋が獣に襲われている姿はとてつもなく愉快で痛快だった。娯楽だ。これは心のふれあいを求める人々にとっての娯楽だ。みんなその娯楽を楽しんでいる。誤解を解き、娯楽を止めさせて、パン屋を助けようとする親切な人などここにはいない。

 親切な人などこの世に居はしないのだ。居たとしてもふれあいを求めるような人間に親切な奴などいやしない。

 私は彼らとの間に心のつながりを感じ、満足感を感じた。

 求めていたふれあいとは違うが、まあ似たようなものだろう。

 責任感が強い人はいたようで、すこしたってから警察に電話をしだした。救急車はもういたから呼ぶ必要はなかった。

 警察にいろいろ話を聞かれるのは面倒なので、さっさと帰ることにした。

 帰り道に綺麗な夕日を見た。

 この出来事によって私にとって綺麗な夕日と獣とパン屋はワンセットになった。このうちの三つの内の一つを見る度にこの出来事のことを思い出す。それが最近やけに多くて困る。この三つを良く見るからだ。

 何かが起こるのだろうか。

 夕日と獣とパン屋が絡んだ何か。あるいはこの三つと全く関係ない何かが。

 そんな気が漠然とする。

 少しばかりの期待と多くの不安を抱えて、私はその何かを待っている。

   

 






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