「蛇口を捻ったら砂が出た」 

谷裂掌

 

 なんでだ? 俺は寝ぼけてんのか? いや、これはどう見ても砂だ。初めは何か分からなかったが見れば見るほどこれは砂だと分かる。水道水に砂が混じっているとかじゃなく砂だけが出ている。蛇口から出る砂は途切れる様子もなく流れ続けていく。これでは顔も洗えない。昨日までは普通に水が出ていたはずなのに何故こうなったんだ? まぁ、突然なったんだからほっといても直るだろう。

 

 

 違うだろ、ほっといたら直るとか悠長なこと言ってる場合じゃない。水が使えないことは非常に困る。というよりそんなことは考えるまでもなく緊急事態じゃないか。朝の俺は頭回ってないにもほどがある。

 まぁ、俺の朝の弱さはいつものこととしてこの現状をどうしたものか。まず、業者を呼ぶにもこれがどういう症状なのか伝えるためにいろいろ試してみた。

 俺の家の水道は水とお湯で蛇口が違う。最初に出したのは水の方だがお湯なら出るだろうか? そんな期待をしながら蛇口を捻る。砂が出る。ものすごい勢いで砂だ。「ここでお湯が出るわけないだろう?」とでも言わんばかりの砂っぷりに俺の期待はむなしく散った。

 だがよく見るとこっちの砂には湯気が立っているように見える。いや、湯気じゃない。お湯の方を回したことでそう思っただけでこれは砂埃だ。出ているのが百パーセント砂なのだから湯気なんか出る訳ないと言えば確かにそうだが変なところで水道水っぽさを出している。

 そもそもこの砂はおかしい。蛇口から出ていることもそうだが水っぽいのだ。と言っても湿っているとかそういう意味ではない。どういうことかと言うと普通、流し台に砂を入れたら流れてなんか行かない。溜まって詰まるはずだ。しかしこの砂は流れていく。どういう力が働いているのかは全くの謎だが不自然に排水溝まで流れるのだ。水のように。

 蛇口を多く回せばたくさん流れるし、逆なら少なくなる。閉めれば止まる。おまけにお湯の方の時ならしっかり砂の温度が上がっているということも触れたら分かった。これを砂と呼んで良いものかが怪しくなった。

 

 

 結局このことを業者に報告しても頭のおかしい奴と思われ取り合ってはくれなかった。これはもう風呂場の水を…ってまさか! 

予感は当たったというより超えられた。予想通り風呂の蛇口から砂はもちろん、シャワーからも砂粒が詰まるそぶりもなく流れ出る。これですでに落胆したのだが側にあるトイレの水すら砂になっている。これにはつい声を出して突っ込んでしまった。猫か俺は。試しに流すとしっかり流れたのでトイレとしての機能は失われていないようだ。

ひとまずこれでトイレは使えなくはない。調べたところでは                               

砂で皿を洗えないこともないらしい。風呂は自宅で砂風呂なんて出来る家はそうそうないだろう。なんて半分砂生活を覚悟しかけながらも考える。これの原因は何か? 考えたってどうにもならないかもしれないが考えることしか今は出来そうもない。

 そういえば俺が小さいころ学校の蛇口にイタズラで砂を詰めたことを思い出す。あの頃やっていた事なんて今思えば何が楽しかったんだろうか。結局そのことは先生にばれて怒られた。あの後その蛇口は普通に使われていたはずだから先生が直したのだろう。

そんなことを考えていたら小さい時にしたいろいろなイタズラとそれによる大人への迷惑が今更ながら次々と思い出され、、それと同時になんだか申し訳ない気持ちが生まれた。子供の時にも謝ったり反省したりしたけどその時とは違った反省を感じている気がする。

じゃあ、今の俺はどうだろうか? 人に謝るときしっかり反省出来ているだろうか? 表面的に、格好だけ謝ったり反省しているんじゃないだろうか? そう考えると少しだけ相手の立場を想って謝るということが大切なんだと思えた。

この砂はもしかしたら俺にそんなことを思わせるために来たのかもしれないしそうじゃないかもしれない。でも俺には前者のように思える。そしてその目的が達成された今なら水は出てくれるだろうか。もはや全部じゃなくていい、水道の冷水だけで良いから水になってくれ。

俺は蛇口に手をかける。一息おいて祈る。そしてゆっくりと蛇口を回した。

 

 

祈りが通じたからかは分からないが水道に変化が起こった。そこにはもう砂は流れていない。砂ではない。砂糖だった。砂糖が流れている。これで我が家は砂糖を切らすこともないし甘いものが作り放題となった。やったね。