彼の看板

山槻智晴

少し前、長らくうちの喫茶店で働いてくれていた宮部さんが辞めた。実家に帰って母親の介護をするのだと言っていた。

うちの喫茶店『音楽』はとても繁盛している。テレビや雑誌など様々な所で評判になったおかげか、それともちゃんとしたものをお客様に出せているということか。後者であればいいのだが、どちらにせよ喜ばしい事だ。

今ではもう、彼女がいなくなったことによる損失はほとんどない。最初は人手不足に大いに悩まされたが、今では新しい人も雇い、この状態にも慣れ、店自体はなんとか回っている。

だが店の玄関に掛かる看板を眺めていると、どうしてもある常連さんの事を思い出してしまう。

彼は五年くらい前から来始めた。最初の内は月に一度来るか来ないかで選ぶメニューもまちまちだった。だが、ある時から彼は週に一度、決まった時間に来て決まったメニューを注文するようになった。

毎週木曜日の午後六時。左端のカウンター席で、カルボナーラとコーヒーを頼む。それを聞くと、私と妻は目を合わせて笑い合った。

彼の注文するそれらは、両方とも宮部さんが作っていたからだ。

私達二人は密かに彼を宮部さん信奉者と呼んでいた。それを聞いた宮部さんは、恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

彼女が辞めた頃から、うちの喫茶店は紅茶とケーキがおいしい店として評判になっていた。それらは、私達夫婦が最も得意とするものだった。

とても満足のいく結果。だがその頃から宮部さん信奉者は来なくなってしまった。当然だ。文字通り『宮部さん信奉者』なのだから。彼女の料理が食べられないなら、来る必要もない。

掲げられた『音楽』の看板。メディアで取り上げられるのは、ここに書かれた名前とケーキと紅茶、そして私達夫婦。そこでは宮部さんの存在は全くない物として語られている。

しかし、あの常連さんはもう来ない。彼にとっての『音楽』は、メディアに取り上げられる様な物達ではなく、あのカルボナーラとコーヒーだったのだろう。

私は思う。あの時一つの『音楽』が死んだのだと。物質的な看板はあっても、彼を導く『音楽』の看板は消えて無くなったのだと。

今日も私はケーキと紅茶とその他のメニューを提供しながら看板を掲げる。胸の中に、消えていった数々の『音楽』を留めながら。