ささがき

山槻智晴

彼は、ごぼうは嫌いではなかった。細く背が高くいつも薄汚れた服装をしていたために付いたあだ名が『ごぼう』だった彼は、クラスの活発な男の子たちからいじめを受けていた。

彼らはごぼうの、その汚らしい身なりを馬鹿にして笑っていた。ごぼうは快く思うはずもなかったが、それでも昔いた父親に殴られていた時よりは悪くないと思い、そういった地位に甘んじていた。

家に帰っても誰もいない。ごぼうに家族は母親しかいなかった。だがその母親も、ごぼうが起きている間に帰ってくることは稀だった。

家に帰るとごぼうは自分の食事用にと与えられた財布を持って、近くのスーパーに買い物に行く。月曜日に入れられた千円札一枚が、彼の一週間の食事代だった。ごぼうは百円以内の、調理なしに多く食べられるようなものを選んだ。

ごぼうを買ったことは一度もない。料理が出来ないために、買っても食べられない事を知っているからだ。

地元生産者売り場に置いてあるごぼうの脇にある、そのごぼうを作った農家の写真が笑顔であるのを見ると、ごぼうはただ、嬉しくなった。

ごぼうは食事が終わると、お腹が満たされている内に宿題をやり、それが済むと明日のお昼の給食を思い浮かべながら寝る。たまに、寝る前に星を見る。意味はないし何も思わない。だが彼は星を見る。

ごぼうが朝起きると母親がいた。彼女は目を覚ましたごぼうに気が付くと、服洗った、とだけ言い出かけて行った。ごぼうは洗濯機から服を出して、部屋にそれらを広げた。服は、母親はたまにしか洗わない。

母親は、自分の息子はなぜ自分で服を洗わないのだろうかと思っていた。ごぼうは、自分がどれだけ自由に行動していいのかをほとんど知らなかった。そして彼は、同じ行動だけを繰り返していた。

ごぼうはまだ濡れたままのそれらから適当に選び、着て、学校に出かけた。

自分の席についたごぼうは、隣の席の女の子に、服ぬれてるね、と言われた。その通りだったので、頷いた。

運動着にきがえないの?と聞かれ、そういうこともできるな、とごぼうは思ったが、あまり運動着を着るわけにはいかないので、止めた。長い休みにしか運動着は持ち帰らない。だからあまり汚すわけにはいかない。

しばらくして、女の子が自分の運動着を持ってきてごぼうに渡した。濡れた服は寒かったので、ごぼうはお礼を言ってそれを着た。

そこに、活発な男の子たちが来て二人を冷やかした。でも女の子に、イジメてるあんたたちよりはましでしょ?と言われ、静かになった。彼らは幼かった。だから、自分たちのやっていることがイジメだったとは、思いもしなかったのだ。

数日後、給食にごぼうの炒め物が出てきた。クラスの子たちは皆、ごぼう、ごぼうと騒いだ。ごぼうは胸につかえがあったが、給食の

ごぼうがおいしかったため、その気持ちを無視した。

ごぼうはおいしかったが、多くの人がその炒め物を残した。彼は自分がごぼうだから、本当のごぼうに迷惑がかかっているのだと思った。スーパーの、ごぼうを作っている人の笑顔が思い浮かんだ。ごめんなさい、そう言ってごぼうは涙を流した。

学校が終わり家に帰ろうとしたごぼうを、いつもの男の子たちが呼び止めた。みんな、手に棒切れを持っていた。

学校から少し離れた、少し大きな河原に連れて来られたごぼうは、そこで、みんなに叩かれた。首を、腰を、脚を、至る所を叩かれたごぼうは、父親を思い出して、泣いた。

始めは彼らも普通の子供だった。けれど女の子に言われてイジメっ子だと自覚した彼らには、もうイジメしか、ごぼうと接する方法は無かった。彼らもまた、自由な行動を知らなかったのだ。

もう嫌だ、ごぼうがそう思っていると、男の子の内の一人が、

「ささがきだ」

と言った。それからはみんな、ささがき、ささがき、と言いながらごぼうを叩いた。

ごぼうは、ササガキ、というものが何なのか知らなかった。でも、その言葉の響きは何かいいな、と思った。

河原に倒れていたため、ごぼうは全身砂や泥で汚れていた。ごぼうは、自分が本当のごぼうになったようで、なんだか嬉しくなった。

ごぼうは、もう動けなかった。それを見た男の子たちは、ごぼうをひきずり、川に放った。

水が冷たいとごぼうは思った。

けれど透き通る川の水と、白く光る細かな泡はとても綺麗で、

ごぼうは、最後に涙を流した。