放課後のスノー・シュノーケル

寄木露美

その日、セントリースには今までかつてないほどの大雪が降った。普段は木々を白く染める程度の雪は大量につもり、家の塀と同じくらいの高さになったし、ラブラドールのファラは雪に溺れて凍死しかけた。大人たちはこの経験したことのない雪に辟易していた。なにせ仕事に行く移動手段が限られてしまうし、ストーブを燃やすための薪を多く消費してしまうからだ。

そんな中でも元気なのは子供たちである。セントリースの中心部から少し外れたところにある小学校では子供たちが雪合戦やかまくら遊びに興じていた。大人たちを困らせたこの雪は、子供たちにとっては最高の遊び道具だった。三段積みの雪だるまも、五、六人は入れるだろう秘密基地も、かわいらしいたくさんの雪うさぎも、大量に積もった雪は可能にしてくれたからだ。

多くの子供たちが休み時間に外に出て雪合戦や雪だるまを作っている中、九歳の少年、ロイド=カーティスだけは教室の中で本を読んでいた。普段なら外で元気よくサッカーをするけれども、今日はあいにくの雪でサッカーは出来ない。野球だって、ラグビーだって、タッグだって出来ない。グラウンドを覆い尽くすあの雪のせいで!ロイドは小さくため息をついた。

ロイド自身は雪が嫌いだ。寒いし、外であまり遊べないし、何より融けた後に地面がぐちゃぐちゃにぬかるんでしまう。だから今日もクラスメイトたちが雪遊びを誘ってきたのを断って、彼は教室にいたのだった。

教室の中には彼以外誰もいない。皆雪にはしゃいで出て行ってしまったのだろう。つまらない、と彼は内心思った。正直な話、雪合戦に誘われたのを受ければよかったのだけれども、今更外に出て行って「寂しいから僕もいれて!」なんて格好悪くて言えない。かといって教室に一人でいるのもつまらない。本を読む集中力もとっくの昔に切れてしまっていた。

外に出るか、それとも引き続き教室の中で過ごすか迷っていたまさにその時、急に肩を叩かれて彼はびくりと体を震わせた。誰も教室にいないはずなのに、一体誰だ?内心怯えながらも、彼はゆっくりと振り返る。そこにいたのは、長くてぼさぼさの赤毛ににやにや笑いを浮かべた見知った顔だった。

「あはは。ロイディ、びっくりした?」

「まったく。急に驚かせないでくれよ、スー」

ロイドの後ろに立っていたぼさぼさ髪の赤毛の女の子、スーザン・リリーはにっといたずらっ子のような笑みを浮かべた。

スーザン・リリーはロイドと同じ年の九歳の女の子だ。森の中の廃列車の中で一人暮らしをしている。僕と同い年なのに料理から洗濯までできるなんてすごいと内心ロイドは思っているけれども、言うと彼女は調子に乗ってしまうから絶対に言わないことにしている。ちなみにレイシーというおじさんがいるらしいけれども、世界旅行に出ていて今はいないのだそうだ。

スーザンはロイドが七歳の頃にセントリースにやってきた。彼女はいわゆる「お行儀のいい子」ではなかったし、いつもぼさぼさの赤毛に着古したワンピースを着ていたからあんまり人に好かれる性質ではなかった。けれども二人はすぐに友達になった。スーザンはいろいろなことを知っていたし、他のどんな友達よりも不思議で楽しい遊びができたのだ。

「退屈そうだねぇ、ロイディ」

「スーは僕が雪を嫌いなことを知ってるだろ」

どこかふてくされたような口調でロイドは言う。内心別のクラスのスーザンが教室にやってきてくれて嬉しいのを隠しているつもりなのだ。スーザンは彼の心を知ってか知らずか相変わらずのチェシャ猫みたいな笑い顔だ。

「ねぇ、ロイディ。そんなに雪が嫌い?」

じっとハシバミ色の目でスーザンはロイドを見る。

「うん。嫌いだよ。寒いし、地面はぬかるむし、いいことなんてないじゃないか」

「それはどうかなぁ」

にっこり笑いながら彼女は首を傾げた。

「ロイディは雪の日に出来る楽しいことを知らないから、多分そんなことを言うんだよ」

……じゃあスーはその楽しいことを知ってるの?雪合戦や、かまくら遊びや、雪だるまを作ることよりもずっと楽しいことを」

ロイドは少し意地の悪い口調でスーザンに問いかける。そんなに面白い遊びがあるなら是非とも言ってみろと言わんばかりの口調だ。

「うん、知ってるよ。スノー・シュノーケリングを知ってる」

……スノー・シュノーケリング?」

ロイドは彼女の言葉を聞いて首を傾げた。スノー・シュノーケリングなんて言葉、彼は一度も聞いたことがない。

シュノーケリング自体の存在は知っている。セントリースは海が遠いからいままで彼はやったことがないけれども、はるか南の島ではよく行われるのだそうだ。海面近くを呼吸しながら泳いで、海の様子を見て楽しむんだという。

「言っておくけれどもセントリースには海はないよ。それなのにどうやってシュノーケリングをするのさ」

「分かってないなあ、ロイディは」

ちっちっと指を顔の横で動かしながら、彼女はどこか得意げな顔をしてみせる。

「雪の中を泳ぐから、スノー・シュノーケルなんだよ。良かったら今日の放課後、一緒にやらない?」

スーザンの言葉に思わず彼は頷いた。雪の中を泳ぐなんて聞いただけでは出来そうにはないけれども、それでもなんか面白そうだ。

その時、ちょうど休み時間の終わりを告げるベルが鳴った。小学校の屋根の上で、鐘が大きく木霊する。

「じゃあね、ロイディ。また放課後に」

「そっちこそ、次の授業頑張ってね」

そうして二人はいったん別れることにした。

*******

さくさくと雪を踏む音を木霊させながら、二人は森の中を歩いていく。学校が終わった時には止まっていた雪は再び降りだして、二人の視界を白く濁らせた。辺りはしんと静まり返っていて、二人の足音しか聞こえない。息を吐くたびに、それは白く染まってまるで自分が蒸気機関車になったみたいだ。

「あと少しだよ」

スーザンの声に、ロイドは俯き気味だった顔を上げた。白に覆われた森の中に、唯一見える人工物。それが目的地である管制塔だ。寒さに負けないように、二人は足を速めた。

「ジェームス、開けて」

ドアの近くに下げられた紐を引っ張りながら彼女は言う。紐を引っ張るたびに、ドアの少し上に取り付けられた鐘ががらんごろんと音を立てた。

「出ないね」

ロイドがぽつりと言う。今までかなりの時間を歩いてきたせいか、手袋を付けているのに手先がひどくかじかんだ。痺れを切らしたスーザンがもう一度紐を引っ張ろうとしたまさにその時、軋む音を立てながらドアは開いた。しわしわの顔に灰色の髪の毛のおじいさんが、扉の向こうから覗いている。

「おお、すまんのう」

「遅いよ、ジェームズ。こっちは寒い中ここまでやってきたのに」

「ちょっといろいろやっていてのう。二人とも寒いから早く部屋にお入り」

ジェームズに招かれるまま、二人は管制塔へと入っていった。

管制塔の中は吹き抜けになっていて、大きな薪ストーブが部屋の真ん中で煌々と火を燃やしている。上には螺旋階段で上れるようになっていて、様々な絵や標本が壁中に掛けられていた。本棚には溢れんばかりにたくさんの本が詰まっていて、不思議な海図や骨格標本、見たことのない形の彫像が部屋中にほっぽり出されていた。

「二人とも、寒かったろう。これをお上がり」

物があふれかえったテーブルを乱暴にどかして、ジェームズはお盆を置いた。甘ったるい匂いを放つ茶色の飲み物が入ったマグカップと、人形の形をした小さな焼き菓子が乗ったお皿が乗せられている。

「ホットチョコレートとジンジャーブレッドマン?」

「ありがとう、ジェームズ。あたし、あなたの作るお菓子が大好きなの」

そう言いながらスーザンはクッキーへと手を伸ばした。ロイドもそれを手にとって食べてみる。程よい甘さとほのかなしょうがの匂いが口の中に広がった。おいしい。

「ところで、こんな老いぼれの所に嬢ちゃんたちはどうしてやってきたのかな?」

「スノー・シュノーケルの道具を貸してほしいの」

「そうか、そうか。じゃあちょっと待っておいで」

ジェームズはそう言うと戸棚を開けて、中を漁り始めた。その間にホットチョコレートを飲むことにする。甘ったるい味がしたけれども、体はとても温まった。一方スーザンはジンジャーブレッドマンに手を伸ばし続けている。

「あった、あった。これじゃ」

鼻まで覆ってしまうゴーグルとシュノーケル管に似た形をしたものを両手にぶら下げて、彼は帰ってきた。通常のそれとは違い、管は長く、リュックサック状の何かに繋がっていた。ぱっと見てシュノーケルというよりダイビングの道具のようだ。

「これを背中にしょって、管を口にくわえるんじゃ。あと、ゴーグルもつける」

床にそれを置いて、ジェームズはてきぱきと話をした。

「で、どこに飛び込むの?この辺りに海なんてないけれども」

「やだなぁ、ロイディ。スノー・シュノーケリングなんだから雪の中に飛び込まなきゃ」

ね、とスーザンはジェームズに向かって首を傾げる。老人ももちろんだと言わんばかりに首を振った。

「でも、もうそろそろいい感じかもね。雪が大分積もって来たし」

「そうじゃのう、もうそろそろいいかもしれん。とりあえず二人とも、儂についておいで」

そう言うと、二人分の道具を持って彼は螺旋階段を上り始めた。慌ててマグカップの中身を飲み干して、二人は老人についていく。塔の中を半分ほど上がった場所にある踊り場でジェームズは二人を待っていた。

「二人ともちゃんと道具をつけるんじゃよ。雪の下の空気は直に吸ってしま

うと肺が凍っちまうからのう。あと、しっかりマフラーを巻いて帽子を被って手袋を付けんとしもやけができてしまうぞ」

ジェームズの言う通りに二人はしっかりと防寒具と道具をつけた。リュックサックは見た目の割には意外と軽い。いったい何が入っているんだろう。

「いいかい、雪の中ではシュノーケルを咥えて息をするんじゃ。水の中と同じであんまり息が出来んからのう」

どうやらこのリュックサックの中には空気が入っているみたいだった。どうりで軽いはずだ。

「雪の中では会話が出来ないから、このボードでやりとりするんだよ」

いつから手にしていたのか、スーザンは小さなボードを手にしている。

「準備はいいかのう?」

「うん、あたしは大丈夫だよ」

「僕も、平気」

老人はにっと笑って踊り場から外へ繋がる階段を開ける。外は飛び込み台のように手すりのないベランダがついていた。二人は外へと踏み出す。

「う、嘘だろ」

知らぬ間に、雪はベランダのすぐ下まで積もっていた。もう木々が白く染まるとかそんな段階じゃあない。むしろこれほど雪が積もってしまったら無事に家まで帰れるのだろうか。

「じゃあ、先にいくね!」

ゴーグルとシュノーケルを既につけ、スーザンは雪の中に飛び込んでいった。ぼすり、という音と同時に白い雪の中に彼女は飲まれていく。

「ちょっと、スー?待てってば」

慌ててゴーグルとシュノーケルをつけた後、ロイドも雪の中へと飛び込んだ。

視界が真っ白で何も見えない。必死に雪をかきわけて進むものの、今どこにいるのかも分からない。ただ全身が雪に包まれる感触を覚えながら、ロイドはなんとかして雪から抜け出そうとしていた。帽子の中や、首元の隙間に雪が入ってとても冷たい。まさかこれがスノー・シュノーケリングなのだろうか。

そういえばスーザンはどこにいるんだろう。辺りを見渡すも、雪の壁が厚すぎて全く見えない。もしかして、どこかで僕と同じように埋もれているのだろうか。そう思うとロイドはひどく不安になってきた。いざとなった時はジェームズが助けてくれるだろうけれども、もしかしたら間に合わないかもしれない。そうなったら僕もスーザンもこの雪の中で埋もれたままだ。

その時、指先にかすかに暖かいものが触れた。確認するかのようにそれに触れると、相手もなんとかロイドの指を握ろうとしてくる。そしてその手の持ち主はロイドの手を掴んだ後、下へ、下へと行きはじめた。まるで海の中に深く潜っていくように、二人は白い雪の中を進んでいく。そしてある程度まで行き着いた後、急に二人は白い雪の空間から抜け落ちた。

そこはなんともいえない場所だった。まるで雪が降っている最中の空のように、周りはぼんやりと明るい。ロイドの体は水中にいるかのように宙に浮かんでいる。また宙を魚のように泳ぐ生き物や大きな雪の結晶がいろんな場所を漂い、時折水に沈む石のように雪が下へとゆっくりと落ちていく。下には色鮮やかな鉱石たちが珊瑚のように地面を覆い、白くてふわふわとした生き物が群れをなしてその間を縫って進む。

とんとん、と肩を叩かれてロイドは振り向く。そこにいたのはボードを手

にしたスーザンだった。

『良かった。ロイディったら全然来ないんだもの。てっきりまだ飛び込んでないんだと思ってた』

『ここはどこ?』

差し出されたボードにチョークで書き込む。スーザンはゴーグル越しににこりと笑った。

『雪の下の国だよ。雪の下は海みたいにいろいろな生き物が住んでるの。それを見に行くのがスノー・シュノーケルってこと』

顔の横を何かが横切り、ロイドはびくりと体を震わせた。透明な体に流線型の体を持つそれは、まるで質のいいガラス細工のようだ。

『今通っていったのが、アイス・フィッシュ。氷で出来た魚なの』

本の挿絵に描かれていた海の中みたいだ、と彼は思う。きっと海の中もこんな風なのだろう。でもここほど冷たくて美しくはないだろうなと少しだけ感じた。

『じゃあそろそろ行こう。いっぱい見せたいものがあるの』

そう言って彼女はロイドの手を引っ張って泳ぎだした。足を一かき、手をひとかきするたびに二人の体は下へ、下へと進んでいく。本当に海の中で泳いでいるように、二人の体は白くて冷たい地底へと降りて行った。

地底へ近づけば近づくほど、冷気は強さを増していった。頬が冷たさで少しぴりぴりとする。けれども地底はそれを忘れさせるほどとても綺麗だった。

地面を覆う赤や青、黄色や紫の鉱石たち。それらは柱のように立ち並び、冷たくも美しい様相を見せている。空から落ちてくる雪や氷の結晶がそれらの上に降りかかるたびに、鉱石たちはその鮮やかな色をいっそう輝かせた。

地の底に落ちた結晶は融けずに残り、徐々に集まって固まっていく。そしてまるで植物の芽のように成長していくのだ。また、地面を所々透き通るような冷たい蒼の川が流れ、落ちてきた雪の塊をゆっくりとどこかへと運んでいた。川の中では色鮮やかな鉱石で出来た体をもつ魚やエビたちが泳ぎ回り、同じように翡翠の水草がゆられていた。

鉱石の森に棲んでいるのはアイスフィッシュや鉱石の生き物だけではない。地面は雪で造られたスノー・ラビットが群れをなして歩いていたし、遠くではスノー・マンが二人に向かって手を振った。

『彼らはここで生まれるのかな』

『ううん、人間が作った雪うさぎや雪だるまが地面に融けてここにたどり着くの。ここは冷たいから融ける心配もないしね』

森の中を進んでいくにつれ、時折雪で出来た民家を見かけた。おそらくスノー・マンが住んでいるのだろう。その近くには雪を耕してできた畑がある。そこからは鮮やかな緑柱石の葉っぱの植物が生えていた。

『スノー・マンも物を食べたりするのかな』

『多分ね。スノー・マンだって生きてるもの。家を作ってそこに住んだり、畑を耕したり、魚を捕まえたりするんじゃないかなぁ』

不思議だ。姿形は全然違うのに、人間や他の動物たちのように彼らは暮らしている。まるで鏡合わせの世界がもう一つあるみたいに。そう考えているうちにもスーザンは移動していく。ロイドも彼女の後を追って、足を大きくかいた。

二人は更に進んでいく。鉱石の森を通り抜け、雪や氷で出来た街でスノー・マンたちに手を振って、やがて鉱石で出来た大きな樹の麓にたどり着いた。

そこにあったのはとても大きな樹だった。首が痛くなるくらい見上げても全く頂が見えない。ジェームズが住む管制塔よりもずっと大きい。セントリースどころか、もっと大きい街にある一番大きなビルよりも大きいかもしれない。

木は様々な鉱石が寄り集まって出来ていた。枝や幹は琥珀や虎目石、金緑石といった金や茶色い色をした鉱石。葉っぱは緑柱石や天河石、翠蛍石に翡翠。冷たい風が吹くたびにそれらはしゃらしゃらと音を立てる。

木の周りにはたくさんの生き物たちがいた。白くてふわふわとしたスノー・ラビットの群れが木の麓に群れて歩いている。枝から枝へは様々な色合いをした鉱石の鳥たちが飛び、美しい歌声を響かせている。それは人の手では絶対に作ることができないであろう、楽園そのものだ。

『これは、何……?』

『マザー・ツリー。雪の下の世界を支えてる』

スーザンがマザー・ツリーに向かって手を伸ばす。それに呼応するかのように、鉱石の大樹はざわめいた。それはまるで二人に何かを語りかけているようだ。

その時、風に吹かれてマザー・ツリーの葉が何枚か落ちた。ちょうど二人の前にそれは降りてくる。スーザンはその中の一つを手にとった。

『ちょっと、スー?いいの?』

『大丈夫だよ、マザー・ツリーはあたしたちにこれをくれたんだから。さすがに直接葉っぱをむしるのは駄目だけれども』

マザー・ツリーはなにも言わない。ただきらきらと枝葉を反射して煌めくだけだ。けれどもその存在はとても大きくて、ロイドはどこか未知のものを目にしているような感覚になった。

『マザー・ツリーはね、雪の下の世界を見守っているの。例えるなら、神様みたいな感じ。雪の下の世界で生きてるスノー・ラビットやスノー・マン、アイス・フィッシュが元気で暮らせているか、不幸な子がいないかって』

『もしも不幸な子がいたらどうするの?』

『話しかけるんだよ。その人には聞こえないかもしれないけれども、わたしがここで見守っているよ、だから大丈夫だよって』

一匹のスノー・ラビットがいるのを想像する。その子は飢えているのかもしれないし、群れからはぐれてしまったのかもしれない。そんなスノー・ラビットに向かってマザー・ツリーは語りかけるのだろう。ここにわたしがいる、あなたを見守っている。だから大丈夫、絶望なんてしないでくれ、と。

『助けてくれるわけじゃないんだ』

『うーん、そんなすごいことは出来ないんじゃないかな』

『それって意味あるの?』

『でもね、ロイディ。見守っていてくれるだけで、助けられたと思う人だっているんだよ。だからそういう人たちにとっては助けになるんじゃないかなぁ』

頭を軽く掻きながら、スーザンは言った。彼女は時折こういう難しいことを言う。その大半がロイドにとってはよくわからないけれども、きっと大切なことなんだろう。

『もうそろそろ戻らなきゃ。ジェームズが心配するもの』

そう言ってスーザンは上へと泳ぎ始めた。慌ててロイドもそれに続く。途中でふと振り返ると、マザー・ツリーは二人を見送るかのように葉をきらきらと煌めかせていた。

「おう、お帰り。遅かったのう」

雪の上に上がると、ジェームズがベランダで待っていてくれていた。縄梯子を二人の所まで垂らしている。二人はそれを伝ってベランダへと戻ってきた。

「二人とも、いいものは見れたかい」

「うん。すごく、綺麗だった」

ロイドはそう言う。スーザンもにこりと笑ってロイドの言葉に頷いた。

「そうか、それは良かった」

ジェームズはにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべる。

「じゃあ二人とも、お茶にしようかのう」

さくさくと雪を踏みながら二人は家へと向かっていく。気が付いたら太陽は地平線の向こうに沈みかけていた。ワイン色と藍色になりかけた空を見上げ、ロイドは思わずため息をつく。

ジェームズの家でお茶をもらった後に管制塔を出たら、スノー・シュノーケルの間にあれほど積もっていた雪はすっかり消え失せていた。あんな短時間でいったいどこに消えたんだろう。内心ロイドはそう思ったが、二人とも答えてくれなさそうだったので、気にしないことにした。

「ねえ、スー」

「なあに?」

彼の呼びかけに彼女は前を向いていた顔を横に向ける。ハシバミ色の目が、ロイドの青い目をすっと射抜いた。

「マザー・ツリーのところで言っていたことだけれどもさ。君は、その、助けられたことがあるの?」

……さあ、どうだろう?」

一瞬彼女の顔が曇ったような気がしたけれども、すぐに普段のにやにや笑いに戻る。

「家では一人だから、そういうのを信じてた方が安心するのかもね」

そう言って彼女は笑った。ふだんの屈託のない笑みではなく、なにかを含んだ笑み。そのまましばらく二人の間に沈黙が落ちる。どこか居心地の悪いような、そんな空気がそこにあった。

そのまましばらく歩いていると、ふとスーザンが立ち止まった。

「もうすぐロイディの家だね。もうそろそろお別れしなきゃ」

彼女の言葉に顔を上げると、見慣れた屋根がすぐ近くに見えた。煙突からは煙がもくもくと上がっている。多分お母さんが夜ご飯を作っているんだろう。

「じゃあね、ロイディ」

ロイドを残したままスーザンは歩いて行こうとする。その時だった。

「あのさ」

今まで黙っていたロイドが口を開いたのは。彼はじっと、スーザンの目を見る。

「僕は、君のことを見てるよ。マザー・ツリーみたいにすごくもないけれど、僕はスーザンの傍にいるからね」

頬を赤く紅潮させながら、彼は言う。その赤は寒さだけでなく、他の感情を宿した赤だった。

一瞬ぽかんとした顔を浮かべたスーザンだったものの、次の瞬間笑い出す。

「あははは、ロイディ顔真っ赤!」

「う、うるさいなあ」

ロイドは照れてしまったのか彼女から顔を背ける。そんな彼をにやにやと笑いながら彼女は見ていた。

「でも、ありがとうね。すっごく、うれしい!」

ぼさぼさの赤毛に負けないくらい頬を紅潮させて、スーザンは嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、ロイドは少しだけ安心する。さっきまでのスーザンはどこか元気がなさそうだったけれども、どうやら戻ってくれたみたいだ。

「そうだ。ロイディ、これあげる」

スーザンはなにかきらきら光るものをロイディに投げた。慌てて彼はそれをキャッチする。そこにあったのは緑色の鉱石の葉っぱ。マザー・ツリーのあの葉っぱだった。

「その葉っぱにかけて、約束ね。あたしとずっと友達だって!」

「うん。分かってる。僕らはずっと友達だ」

そう言ってスーザンは右手を振った。ロイドも負けじと右手を振り返す。帰る家は違うけれども、家族ではないけれども、彼らは強いきずなで結ばれているのだ。

スーザンが見えなくなるくらいまで腕を振った後、彼は家へと走り出した。誰かに、無性に話したい気がしたのだ。スーザンとスノー・シュノーケルに行ったことを。そこで見たことや、たった今彼女と約束したことを。

足が妙に軽い。家に帰るだけなのにどこかわくわくする。その気持ちをそのままにして彼は玄関へと飛び込んだ。

「どうしたの、ロイド。妙に慌てているけれど」

「お母さん、あのね!」

小さな少年の口から不思議な冒険譚が語られるまで、あと三秒。