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わたのはなし

寄木露美

中身、というものに興味を抱き始めたのはいつだっただろう。思えば小さな頃から私という人間は中身に拘っていた。小さな電卓をもらえばそれがどういう中身でどういう風に動くのか気になっていたし、ぬいぐるみをもらえばこのふわふわとした皮の中には何がつまっているのかと夜も眠れない気分だった。

中身はどうなっているの?周りの大人たちにそう聞けば、そんなことを気にする間に勉強しなさいと怒られたり、分からないとぼかされたりした。彼らにとって私の言葉は小さな子供の知りたがりに過ぎなかったのだろう。真面目に私に向き合って回答してくれた人はいなかった気がする。

その中でも特に、中身を本当に知りたいと思ったものがある。それは小さい頃に祖母にプレゼントされた猫のぬいぐるみで、ずっと肌身離さずに持っていたものだった。それが傍にあると何故か安心できたのだ。

どうしてそのぬいぐるみだけが安心できて他のものは違うのか。当時の私は疑問に思っていた。そして、ある日それの中身を見ることを思い立った。

じゃきり、とハサミをそれの腹に突き立てる。そのままじゃきじゃきと腹を切り進めていく。ハサミを閉じたり開いたりするたびに、白い中身が少しずつ姿を現す。半ばまで腹を切ったあと、小さな指をそこに突っ込んで引っ張り出す。ふわふわとしたそれが、次々と腹から出てくる。白くてふわふわしていて、雲のようなそれ。引っ張れば引っ張るほどそれは溢れていき、対照的にぬいぐるみは萎んでいく。

それを引っ張り出す作業にひたすら夢中になっていたまさにその時、悲鳴のような声が私の耳を襲った。少ししたあとに腕を掴まれ、ハサミを取り上げられる。腹から大半の綿が抜かれ、胴体だけが虚ろになったそれが、我に返った私の目に入った。

それからのことはよく覚えていない。どうしてこんなことをしただ。なにか悩みでもあるのかしら。私に対して怒声や妙に優しげな声をよこす両親、綿を抜かれたままほったらかされたぬいぐるみ。ただそれらの記憶を断片的にとどめているだけだ。ただ、次の日から私のお気に入りだったあの猫のぬいぐるみはどこかに行ってしまった。

ただそれから、私の中身に対する執着はより増していった。あのふわふわとしたものにすっかり私は魅了されてしまったのだ。それの名前は『綿』ということを私は後日に知った。綿。白くてふわふわとしていて柔らかいもの。それが見たいが故に、私は家中のぬいぐるみを切り刻んだ。

両親は私のこの癖に、すっかり困り果てているようだった。何度も白い病棟に連れて行かれたし、ぬいぐるみを解体しないように袋に入った綿を渡されることもあった。しかし私はぬいぐるみの腹を裂き続けた。綿だけあっても何の意味はない。あくまで皮の中に

潜んだ綿が見たいのだ。綿だけ渡されたところで、あの見てはいけないものを見るときのような、ぞくぞくとしてそれでいて心地良い感覚が訪れることはない。

やがて両親は私の癖を咎めなくなった。彼らは腫れ物を触るような距離で私に接し、必要以上に関わろうとはしなくなった。私はそれに対して少しだけ寂しく思ったけれど、それよりも綿を引きずり出すことに対して何も言われなくなったことの方が嬉しく思った。

きっと、あの頃の自分は壊れていたのだろう。

事態が急変したのは、私が十一歳になったばかりの春だった。それまでの私は小遣いをを貰えばぬいぐるみを買うのに費やし、そしてそれの腹を暴いていた。しかしながらそれにも段々飽きてきていた。以前だったら中が虚ろになるまで引っ張り出していたけれど、最近は腹を裂いて少しだけ取り出すくらいで終わっていた。幼少期に私を魅了していた綿も、言い換えてしまえば植物性の繊維の塊にすぎなかった。

綿以上に私は皮の内に潜むものの存在を知りたくなっていた。皮の中のものを暴くたびに、私の心を襲う感情は何が原因なのか。どうして中身がそんなにも知りたいのか。子供ながらに私は本気でそれを知りたいと思っていた。そして、私はあくる日にそれを知ることになるのだ。

その日はなんの変哲もない晴れた日で、何時も通りに授業も終わった。元より友達のすくなかった私はその日も誰とも約束することはなく、普段のように家路へと急いでいた。

交差点を駆け抜け、住宅街へと進んでいく。あとはこの坂を登れば我が家へとたどり着く。そんな時だった。それが私の目に入ったのは。

道路の真ん中に横たわる。白い猫。その体は奇妙な形に折れ曲がり、歪な形となっている。苦悶の表情を浮かべ、口の周りを赤く染めた猫は全く動くことがない。それはまるで床に叩きつけられたぬいぐるみのようだった。

それを目にした瞬間、体の芯を何かが駆け抜けた。ぞわり、ぞくり。背筋に震えが走る。面白いことが起こったわけでもないのに目と口元が弧を描く。自分の中の本能が、ただ告げている。

ああ、中身が知りたくてたまらない。

私は地面に落ちていたそれを拾い上げ、給食の時に使ったナフキンにそっと包んだ。きょろきょろと辺りを見回して、誰も見ていないか確認する。そして私はそれをランドセルの中に入れた。どさり、と少しだけ重みを増したランドセルを背負い、その場をあとにする。そしてそのまま私は走って家へと帰った。それの中身が知りたい、その思いだけに突き動かされて。

家には誰ひとりとしていなかった。母はパートに出ていたし、父は夜遅くにならないと帰らなかったのだ。猫の中身を知るのにはとても好都合だと、私は思った。口元が大きく弧を描く。私は鍵で家へと入った後、真っ先に自分の部屋へと駆け込んだ。

誕生日にプレゼントを貰うときのように、わくわくとした気持ちが心の中に浮き沈みを繰り返す。ランドセルを下ろして、私は勉強机の上にナフキンにつつまれたそれを置いた。もう既に冷たくなってしまった、白い猫。それがひどく愛しくなって頬ずりをする。どこかばさばさとした毛並みを持ち、固い中身をもったそれは今までにないほどの期待を私に与えた。

さっそく中身を見てみよう。そう思って愛用のハサミを文房具入れから取り出す。刃をそっと腹に当てて、軽く引いてみた。ぷつ、という皮が切れる感触が手に伝わる。それがなんとなく嬉しくて、繰り返し猫の腹にハサミをあてがった。ぷつ、ぷつり。傷を付けるのと同時に赤い液体が少しだけ漏れ出す。白い毛をかき分けると、皮膚の下の朱色が見えた。

しかし一向に中身は見えてこない。あくまで表面に傷がつくだけである。最初のうちは楽しかったけれども、段々と苛々とする気持ちが私の胸の中に芽生えていく。それを抱えたまま、私は猫の腹にハサミを振り上げた。

ぶすり。手応えと共に今まで感じたことのない感覚が体を満たしていく。今までの苦労が嘘に思えるほど簡単に、猫の腹にはハサミが突き刺さった。傷口からは血が溢れ出す。それを引き抜くと、中にはルビー色のそれが隠されていた。ああ、もっと知りたい。中身が見たい。夢中になりながら何度も猫の腹にそれを突き立てる。歪な傷口は広がっていき、ルビー色のそれは徐々に外気へとその秘密を晒していく。何十回突き立てただろうか。真っ白だった猫の腹は最初とは比べ物にならないほど赤く、その中身を晒していた。表面は体液でてらてらと光り、蛍光灯の明かりを反射するそれはまるである種の果物だ。異形の宝石のような、奇妙な美しさが私を惹きつける。ああ、はやく中身が見たい。

ある程度に傷口が広がったあと、私はそれの中に掌を突っ込んだ。すっかり冷たくなってぬるぬると体液に濡れたそれはひどく心地が良い。体内のそれを軽く掴んで、外へと引っ張り出す。ぶちぶちぶち、ずるり。繊維が裂ける感覚と、少しした後にそれが引き出される感覚。手が赤色に染まっていくのも気にせずに、腹の中からそれを引っ張り出す。細長いもの。小さな赤色をしたもの。二対になったもの。三角形のもの。それらを次々と引っ張り出していく。朱色の果てには何があるのだろう。背筋にぞくぞくとした感覚が走る。快感、というものなのだろうか。その感覚に脳を支配され、理性をなくしたまま私は猫の腹の中に埋められた秘密を探り当てようと躍起になった。

それが終わったのはいつだっただろう。気がつくと、私の手は肘まで赤く染まり、猫の中身は殆ど掻き出されていた。キャラクターが描かれていたナフキンはすっかり赤く染まって何が描かれているのかさえ判別できない。あれほど白くて固かった猫の腹はすっかり赤色に染まり、中身を失って虚ろになっていた。猫の腹の内側には様々な線が走り、闇をより不確かなものにしている。

なんだ、いつもと同じか。そう思いながら猫の腹の中の暗闇を覗き込む。暗い朱色が広がっているのを確認して目をそらそうとした

まさにその時、猫の中の暗闇が、動いた。

ぞわり。先ほどとは違う感覚が背中を伝っていく。何だ、これは。猫の腹の中の闇は続いている。ひどく体が寒い。見てはいけないと脳の中の一部が伝える。しかし、私は目が離せなかった。いいや、離さなかったのかもしれない。猫の中に潜む闇は、徐々に暗さを増している。

なんだろう。恐怖と好奇心が交じり合う。そっと猫の腹の中へと手を伸ばす。その闇に触れた瞬間、電撃を与えられたかのように脳に衝撃が走った。

虚。

それだけに脳が支配される。瞬間的に手を引いたものの、それは消えない。それどころか、少しづつ心を侵食していく。嫌だ。嫌嫌だ。必死にそれを振り払おうと、頭を抱え込む。しかしそれは離れてくれない。虚しさが、闇が、徐々に広がる。

にゃぁああぁ。どこからか猫の鳴き声がする。俯いていた顔を少しづつ上げていく。本当は見たくない。でも、闇はそれを唆す。そう、この先に『中身』の答えはある。でも、怖い。怖い。嫌だ。誰か。誰か。それでも私は抗いきれずに、それを見た。

苦悶の表情を浮かべた猫と目が合う。中身は掻き出したはずなのに。もう中には何も残っていないはずなのに。それなのに。

いや、もしや。無くしてしまったからこそ。掻き出してしまったからこそ。それは現れたのではないか。中身がなくなってしまったからこそ。そこに中身が入ってしまったのだ。

にゃぁ、と猫は鳴く。腹を虚ろにしたまま、それは私を見る。そしてもう一度、にゃぁと鳴いた。

いつのまに気を失ってしまったのだろう。目を覚ました時には、全てが終わっていた。机の上には掻き出された大量の内臓と、赤く染まったナフキンだけが残されている。猫は、どこへ行ってしまったのだろうか。赤く染まった両手を見ながら、私はただその場に立ち尽くしていた。

それからだった。私が中身を異常に恐れるようになったのは。あれほど子供時代に私を駆り立てた中身は、今となっては只の恐怖の根源でしかない。中身が全てなくなった後、その後に潜むもの。大人になった今でもその恐怖は残ったままだ。

恐らく私は分かってしまったのだ。中身を無くしたところで全て分かるのではない。むしろ中身をなくすことで新たに中身が出来てしまうのだと。

にゃあ、と鳴く声は、未だに私の耳から離れてくれない。