おかしな城の少女たち  バックベアード



3、モックとアン

 

「やっほー! 速い速い!」

 長い長い滑り台の最中、メアリはずっと足をバタバタさせてはしゃいでいた。やがて滑り台の最後が訪れ、飛び出したメアリはなにか柔らかいものに激突する。

「……ぷはっ」

埋もれていた顔を引き抜くと、メアリがぶつかったのは大きなパンだった。食パンの白い断面が、自分の形に凹んでいるのを見てメアリが笑い出す。ひとしきり笑ったメアリが周囲を見回すと、食べ物の良い匂いが漂ってくる。

「ここ、お城の厨房かな?」

「んー……そこにいるのは、メアリ?」

 笑い声を耳にして、駆けつけてきたメイド服少女の姿を目にしたメアリの顔がパァッと輝いた。シックな黒と白だけのメイド服。あちこちが汚れており、仕事の邪魔になるため余計な装飾は一つも無い。

「アンだ! やったぁ!」

 メアリはグリフの時同様に、その腰に飛びつく。が、その直前に空中でアンの手によって制止された。

「はいストーップ。今、私汚れてるんだから」

「えー大丈夫だよぉ、別に!」

 メアリは駄々をこねて抱き着こうとするが、アンが油と埃で汚れているエプロンドレスで汚れることを許さない。

「メアリが良くても、私が気にすんの。そもそも、メアリが汚した服を洗濯するのは、誰なんだっけ?」

 食事・洗濯に始まる城内の家事を一手に引き受けるアンに言われては、流石のメアリも黙り込むしかない。静かになったとはいえ、メアリが面白くなさそうな顔をしているのを見て取ったアンは、

「メアリ、お昼食べた? なんか好きな物作ってあげようか?」

「好きな物でいいの!? オムライスがいい!」

 アンはメアリを椅子に座らせてから、ちょっと待っててね、と言い残すと、手早く料理を開始した。



 十数分の後、メアリの前には黄金色に輝くオムライスが運ばれてきた。たどたどしい手つきでスプーンを握り、大きく掬って一口に頬張る。

「メアリ、美味しい?」

「うん! とっても!」

 オムライスに顔をほころばせるメアリを眺め、アンも頬を緩ませる。その顔を見ていたメアリが、とある事に気付いた。

「アン、今日の髪留めはヒマワリなんだね!」

 メアリがアンの前髪を留める、ヒマワリを模した髪留めを指さすと、アンがパッと顔を背けた。メアリからは見えないが、その顔色はオムライスに添えられたトマトよりもなお、赤い。

「べ、別にいつも同じだよ?」

「あれー? でも、この前はスイセンだったよ?」

 仕事に打ち込んで、お洒落する暇などないメイドであるアンの、唯一のお洒落がこの髪留めなのであった。

「見せて見せて!」

「いや、汚れてるし、あと……」

 恥ずかしいし、という呟きは、小さすぎて本人の耳にすら届かない。

「なんでー? 似合ってるのに」

「……ホント?」

 恐る恐るアンが顔を元に戻すと、その顔を一眺めしたメアリが、ぐっと親指を立てた。

「うん! それで麦藁帽子かぶったらカンペキ!」

そばかすの多いアンの額辺りにヒマワリが咲き誇るその様は、ヒマワリ畑で無邪気にはしゃぐ少女を想起させる。予想以上に褒められたアンは、再び顔を真っ赤に染めた。

「どうしたの? 熱でもあるの?」

 メアリに顔を覗きこまれ、アンが目線と話題を同時に逸らした。

「そ、そういえばメアリ、なんであんなところから出てきたの? ……まぁ大体見当つくけど」

「チシャがね、女王様に会ういい方法があるって嘘ついたの!」

 やっぱチシャか、アンがやれやれと肩を竦める。だが、すぐに別な単語に反応して顔を上げた。

「メアリ、女王様に会いたいの?」

「うん! 聞きたいことがあるの!」

 メアリは、昨日のシャーロットとの話し合いからここに来たことまでの経緯を、身振り手振りを交えて説明する。

「『この世界が面白いかどうか』か……」

「アンはどう思う? 面白いよね?」

 メアリの期待に満ちたまなざしを受けて、アンは気まずげに視線を逸らす。

「私は面白いっていうか、お城の皆の世話してるだけで一杯一杯っていうか」

「面白いから世話してるんじゃないの?」

「あー……。面白いからってより、なんていうか放っておけなくてなんだけど」

 アンは困ったように頭を掻いている。だが、お構いなしにメアリは質問を畳み掛けた。

「じゃあ、世話したら面白いんじゃないの?」

「まぁ確かに、私の料理とか喜んで食べてくれると嬉しいけどさ」

 懊悩するアンの横で、メアリは口の周りをドロドロにしながら、オムライスをパクパクと食べ進めていく。

「ほら、汚さないで食べないと」

 アンが困った顔を浮かべながらナプキンで、メアリの口元を拭う。

「やっぱりアン、楽しそうだよ?」

「……楽しいってのとは少し違うんだけどなぁ」

 照れたように頬を染めるアンを眺めながら、メアリは何が違うのだろうかと小首を傾げた。

「ごちそーさまでした」

「お粗末様でした」

 アンは食器を片すと、手早く洗い始める。その頭の中にはやらねばならない仕事が次々と浮かんでいたが、差し当たっての問題はメアリの質問へどう返すかだった。

「アンはどう思う? やっぱり面白いと思うよね」

「私はねぇ……。あぁ、そうだ、私はどうでもいいんだよ」

 アンが、ポンと手を打った。メアリもよくわからないが、それを真似て手を打つ。

「あのね、私は私にとって『世界』が面白くてもつまらなくてもいいの。私の周りの人達が幸せそうだったら、それでいいんだよ」

 メアリに言うというよりも、自分で再確認しているかのようにアンが頷きながら呟くと、メアリは不可解な顔をしながらもそれを真似てうんうん頷いた。

「でも、それなら周りの人達は『世界』が面白い方が幸せそうだろうし、つまらなかったら幸せになれないんじゃない?」

「どうだろうね。でも、つまらないのが好きな人もいるから、私は『世界』は面白くてもつまらなくてもいいの」

 自分の答えで、メアリが目を白黒させているのを見たアンは、慌てて言葉を付け加えた。

「まぁつまり、お世話するのが楽しいってことなんだけど」

「ほらー、やっぱり!」

 自分の指摘の正しさにしたり顔を浮かべたメアリに、アンは自分の思う微妙な差を説明するのを諦めた。それでようやく納得したメアリは、椅子からぴょいと降りると、

「アン、私そろそろ行くね!」

「女王様の居場所は分かってるの?」

 メアリが元気よく、首を横に振る。アンの胸中に、不安の黒雲が渦巻いた。一緒に着いて行ってやりたくなったが、

「……多分、女王様はこの階のどこかにいると思うよ」

 必死に踏みとどまり、助言するだけにとどめた。

「なんでわかるの?」

「メイドの勘、かな」

 そう言ってアンが悪戯っぽくウィンクすると、メアリもウィンクを返す。

「お仕事がんばってねー!」

「はいはい、あんまり服汚さないでねー」

 メアリが厨房を出て行くと、一気に静寂が戻ってきた。アンは少し寂しいような気分になったが、それを振り払うように、

「さーて、さっさと片付けますか」

 気合の言葉と共に腕まくりをすると、料理に取り掛かった。

 

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