一番奥の窓際の席に腰かけ、俺は、サティの曲を聴いている。
喫茶店から眺める街の風景はいつも退屈なものだったが、それゆえ、退屈な時間を過ごすにはもってこいの空間であった。妄想と夢の間に大した差異はなく、それは能動的か受動的かの違いであって、こうやっていつもの席に腰かけながら外の風景に目を向けていることもまた、睡眠をとるのと大して変わらなかった。少なくとも、自分にとっては。いつも見る、他愛もない妄想。誰にしてもそうであるに違いない。あのサノでさえも。現実から覗きこむ非現実的な事物は、確固とした現実の上に成り立っているからこそ、安心して身を預けることができる。だから俺は、たまたま家から近かった大学の、さらに近くの安い喫茶店、いつものお気に入りの席でぼんやりと空想に耽っていた。いつ来るとも知れないサノを待ちながら。
サノとは小学生来の付き合いだったが、中、高と違う学校であったので、大学に入って隣の席で顔を合わせたときは誰かわからなかった。それは向こうも同じだったらしく、講義の始まる五分前、席に着いた俺に「だれだっけ?」と間抜けな質問をよこしてきた。
小学生のころの出来事なんて覚えているはずもなく、それは俺にとって、一週間前の晩飯が何だったかを思い出すのと同等に難解であった。実家に帰った折にアルバムを開いてみたが、『将来の夢』の欄を見、一人部屋で恥をかいただけだった。その時サノの将来の夢は花屋であった。後から訊いてみると、それは隣の子が書いていたのを写しただけだったらしい。
サノは、昔からひどく頑固者だった。小学生の時は彼女とよく話した。帰り道に、二人でよく近くの廃駅で遊んだのを、ぼんやりと覚えている。夕方になって、もう帰ろう、と俺が提案するのだが、サノは大抵ツバメやら野良ネコやらの観察に忙しく、なかなか帰らせてくれなかった。生来怖がりな俺は、辺りが暗くなってくるにつれて帰りづらくなり、結局サノを待っているうちに帰宅が遅れて親に叱られていた。
その後彼女は、一カ月学校を休んだのちに転校し、俺は地元の中学に進んだ。それだけだった。
サノは今でも頑固で、厄介な性格であった。意見の食い違うことも多い。小学生時を除いたら、たかだか三四ヵ月の付き合いである。互いのことがそう易々と理解出来るはずもない。考えてみれば実に明解なことだった。理解し合うということは要するに、二者の意思疎通を円滑化するということなのだ。実際的には。その辺のことが、多分彼女にも俺にも当たり前過ぎたのだろう。
結局、サノが来たのは待ち合わせた時間の三時間後だった。





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