「嫌よ!私は会わないわ!」
その日、葉月が衣装室で騒いでいたのにはわけがあった。
「葉月、いい加減になさい。今日はお顔合わせの日と言ってあったでしょう」
見るに見かねた母がやって来て説得を始めた。慶介に会おうとあらゆる手を尽くして学校から抜け出していたが、万策尽き、よりによって今日この日に家の使いに見つかってしまったのだ。今日は学校から家へとすぐ連れて帰らされ、婚約する予定の男性と会う予定なのであった。葉月は自分の不運を呪った。
(嗚呼、なぜこんなにも束縛されなければならないのかしら)
再び馬車に揺られている葉月は鬱々と考えた。顔合わせは馬車で少しいったところにある料亭。もういっそのこと料理を皆投げ捨ててでもその場をめちゃくちゃにしてしまおうかと考えたがさすがにそこまでする勇気はなかった。
(私には慶介さんという想い人がいるのよ。婚約者なんていらないわ!)
最高に不機嫌な顔をした葉月はその着飾った衣装とは反対に可愛くない顔を作る練習をしていた。不細工な顔をしていれば先方も諦めてくれるだろうかという淡い期待に縋った。
「……っ!」
走り始めて少し。葉月が馬車の窓に映る自分の不細工な顔を試行錯誤していると突然馬車が急停車した。
「何事ですの?」
顔合わせに付き合うため付き添い、葉月の幼い挙動に付き合いきれなくなっていた母が慌てて馬車を降りる。
「奥様すみません、馬が動かなくなりまして……」
御者の弱弱しい声が扉越しに聞こえる。葉月はあることに気が付いた。
(私は今馬車の中で一人ぼっち)
いつもだったら今頃慶介と書店で落ち合っている頃。走れば間に合うはず。
(抜け出してしまおうかしら)
大事な顔合わせと聞いていたから、それを台無しにしてしまうのは怖かった。しかし今の葉月には慶介と会うことのほうが大事なのだ。そっと扉を開けて馬車を降りると馬の前で言い合っている御者と母を置いてもと来た道を小走りに駆け出した。
「慶介さん!」
息を切らして着いた書店にはいつもと変わらず姿勢良く本を読む慶介の姿。
「今日は遅かったのですね」
慌ただしく駆け込んできた葉月に慶介は目を丸くさせて見やった。ついに出会えた葉月は彼の姿を見てある衝動が湧き上がった。
「慶介さん、私今追われている身なの」
「はい?」
「汽車に乗って逃げましょう」
別の町へ行ってしまえばこのしがらみから開放される。心の幼い葉月はそう考え付いたのだった。すでに顔合わせを台無しにしてしまった葉月には恐れがなかった。
「葉月さん?」
言われるままに手を引かれる慶介はあまりに唐突な葉月の行動にされるがままであった。




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