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ダレカ  山槻 智晴



 

考えていると、ふと、ここがリビングであるということを思い出した。

「おいお前、そんなことしたらカーペットが汚れるじゃないか! 値段、分かってやってるのか!」

 リビングに敷いてあるカーペットは、この家に移り住んできた時に買ったものだ。割合高価なものだったが、妻がどうしても欲しいとせがむので、家のローンができたばかりで経済的に圧迫感がある中だが買ってやったものだ。いつも欠かさず手入れをして大事にしていたというのに……。

 怒鳴った後も、まだじゃりじゃりという音は聞こえてくる。

「おいお前、聞いて――――」

「『後で誰かが掃除するんだから、別にこのくらいいいだろう』」

女が言い放った。今までとは異なった、脅しつけるような口調で。

男は今まで、妻の口からこんな声を聞いたことが無かった。そのこともあってか男には、この妻の言葉が尚更感情のこもったものに思えた。

そして天井しか見ることができない男は、妻の急激な変化に身震いした。自分は今、動くことができない。もし妻が包丁か何かを持ってきたら、どうすることもできない。男は体中から嫌な汗が噴き出してくるのを感じた。

しかし。さっきの言葉は、どこかで聞いた気がする。でも、一体どこだったのだろうか。不安に苛まれ、顔を歪めながらも思い出そうとする。

気が付くと、男の目の前には妻の顔が迫ってきていた。

「ねぇ、知治さん。さっきの言葉が何なのか、分かる?」

女は無表情。だがその眼は、強く夫の眼を見据えている。

 男はその気迫に後込みし、答えることができなかった。

男の無反応を、分らないということの意思表示だととった女は、口角を少し上げ、弾むような調子で言う。

「あれ、分からないの? ……あなたの口癖だったのに。昨日の夜だって、物置に置いてある、いる物といらない物分けておいてって頼んでも『そんなん誰かにやらせればいいだろう』だなんて言ってたのに。知治さんは、いつもそう。面倒な事は『誰かにやらせればいい』って。考えたことある? その誰かが誰なのか。」

俺の口癖? 男は呆然とした。今まで考えたことも無かったのだ。そして何かが引っかかるが、自分が言ったと思い出すことはできなかった。

「やっぱりわからないのね。きっと無意識の内に言ってたんでしょうね。でも、それがずっと続くのは『無神経』っていうのよ?」

「そ、そんな――――」

 女は、男の弁解を強い口調で遮り、そして一気に捲くし立てる。

「そうねぇ、いつもお菓子や何か食べ散らかして、カーペットに落として。汚れるからもう少し気を付けて、って言っても、『どうせ後で誰かが掃除するんだから汚したっていいだろ?』なんて言って。

結婚する前からの口癖だったから、もう慣れちゃってるんだね。

あなたがプロポーズしてくれた時、私言ったわよね? その『誰か』って口癖は止めてって。私それ嫌だからって。そうしたらあなた、結婚したら直すって、言ってくれたのにね、あんなに真面目そうな顔して。それならいいかもと思って結婚したら、約束を忘れて、家でも言い出すとはね。思ってもみなかったわ」

「そ、そんな、言ってくれなきゃ気が付くはず無いだろ! それなのに、いきなりこんなことされたって……」

息継ぎで話が途切れた瞬間を狙って男は弁解を挟み込んだ。しかし。

「『誰か』がやればいいんだ、と思って私が何もしなかったら、知治さん、私を怒鳴りつけて、乱暴したよね? それってさ、私が、知治さんのいう『誰か』だってことだよね? ああ、そうね。そうなのね? 私の名前が、『ダレカ』だったのね。そう、そういうこと。いいわ、それなら今日から私、正式に『ダレカ』って名前になるわ。というわけで、これからもよろしくね、知治さん?」

言い終わると女は、夫から離れて、また自分の作業に戻っていった。塩の音は、今度は控えめに聞こえてきた。

 

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