ダレカ  山槻 智晴



 

女が一方的にしゃべっている間に、男は一気に冷静になった。

男は、この状況が、女特有のヒステリーによるものだと考えた。

今まで溜め込んでいたものが多い奴ほど、奇抜でおかしな行動に走る。これまでの女性経験から、男はこの考えを導きだした。

 これだからこの手の女は面倒なんだ。結婚してしまったことを悔やまざるを得ない。もっと早く、千晴に出会っていれば、この女と結婚することも無かっただろうに……。

だが、俺なら大丈夫だ。何とかしのげる。女の扱いは上手な方だ。

今日をしのいで、これから気を付けるようにすれば、またいつもの日常に戻れる。そうすれば、また、千晴と一緒に過ごせる!

男が愛人との密会の事を考え、少しにやけていると。

何かが、男の上に放り投げられた。

 驚いた男は目を見開き、口を開けてしまった。そこへ、それに付着していた、払いきれなかった塩が入り込んでくる。

「く、お前、何を!」

 男は混乱したが、身動きが取れないために、投げ込まれたそれを観察することしかできなかった。

「何だ、これは」

表面は茶色で、萎れている。所々に窪みがあり、上部には黒く太い糸のようなものがいくつも付いていた。

そう、それはまるで……。

「ああ、それのこと? 塩漬けだよ? ……でもあなたが聞きたいことは、そんなことじゃないよね。でも、あなたってひどい人ね。あんなによく会っていたのに、もう名前忘れちゃったの? 感動の御対面なのに? かわいそうね」

「一体、何のことだ」

 男の全身に悪寒が走る。

妻の言葉から、男はこの茶色の塊のもとに気が付いた。

まさか、でも。

「あなたがよく一緒に過ごしていた『ダレカ』さんよ? 休み前にも会ってたし、よく一晩中飲んだりしていたんじゃないの? ほら、私が『昨日は遅かったけど何してたの?』って聞いたら、『ダレカイロンナヒトと飲んでたんだ』って。よく言ってたじゃない?」

「もしかして、……千晴、なのか?」

萎れているのは、塩に漬けられていたからか。

あの、かわいくて、元気で、思いやりがあって、一緒にいてあんなに楽しかった、千晴が? こんな、醜い姿に?

「へぇ、そんな名前だったんだ。てっきりこの人も今の私と同じで『ダレカ』って名前だと思ってたのに」

「千晴? 本当に、本当にこれが千晴……なのか?」

「違うんでしょ? あなたはずっと言ってたわよね。『ダレカ』だって。まさか無意識の内に、愛してる人の名前まで『誰か』って呼んでたわけじゃあないよね?」

 明るい口調で女が言う。

「くそ、千晴、千晴、千晴……」

まさに呆然自失といった態で愛人の名前を呼び続ける知治に、女は優しく語りかけた。

 

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